「かふう」に紹介されました

2014年03月29日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 16:12 Comments( 0 ) 新聞記事
昨日(3月28日)に発行された琉球新報の住宅情報誌、「かふう」に湧き水fun倶楽部のことが紹介されました。


とは言っても、先日のレキオのように、当倶楽部にスポットを当てたものではなく、「親子防災探検隊」というイベントで行った井戸水運搬実験で当倶楽部が協力したことについての記事です。

写真には、参加者を前に説明を行うごや副代表の姿が写っています。

記事は、「うちなー点描」というコーナーで、”「防災ヒーロー」子どもの率先力に学ぶ”というタイトルが付けられています。記事を書いているのは、防災福祉の専門家、稲垣暁さん。実際に仲間樋川に出向き、大災害などで断水になったとき、飲料水や生活用水をどのように運べばいいのかを勉強したそうです。沖縄のような離島では近県から車で運ぶということができないため、大災害が起きたときは救援物資が届くまでどのように水を確保するのか、また、確保した水をどのように運搬するのか、非常に大事な問題です。そういう意味で、地域の湧き水がどこにあるのかを知っておき、それを守っていくことにつながることを期待したいものです。



新メンバーが加わりました&定例会

2014年03月22日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 20:49 Comments( 0 ) 定例会
今日3月22日は、毎月の定例会が行われました。
テーマは、湧き水カルタの市町村別カーの選定について。
本題に入る前に、ぐし代表、金城さん、そして私、我妻さんから、活動報告がありました。
ぐし代表は渡嘉敷村と南北の大東村について、金城さんは大宜味村と竹富島について、私は恩納村について、我妻さんからは読谷村について、それぞれ集めてきた情報についての報告がありました。また、金城さんからは、湧き水fun倶楽部の最初の勉強会で講師を務められた長嶺操先生の著書、「沖縄の水の文化誌」に掲載されているカーの名前を市町村毎にまとめた資料が、桂さんからは「探訪 昔道を歩く 大山ターンム畑のクンジャンアブシと湧水めぐり」と題した記事の掲載されている『宿道』(沖縄しまたて協会発行)などが配られました。

その後、当倶楽部にとって大変うれしいニュースがありました。

新たに、黒岩さんが加わることになり、ぐし代表から紹介のあったのち、各自自己紹介を行いました。今後ともよろしくお願いします。

湧き水カルタの各市町村から一カ所づつカーを選定する件については、未だ選定が終わらない市町村が多数あるため、各メンバーに市町村を割り当て、次回までに各自情報収集を行うこととなりました。また、桂カルタ編集委員長から配布された読み句の案記載用紙に思いつく句を記入しておいていただくようお願いします。
なお、選定作業を加速させるため、4月は12日と26日に行うこととなりました。選定が確定するまで忙しい日々が続くと思います。メンバーの皆さんにおかれましては、体調に留意され情報収集にあたっていただくようにお願いします。


北大東島の情報収集

2014年03月21日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 21:41 Comments( 0 ) 勉強会
昨日3月20日は、湧き水カルタ作成の情報収集のため、北大東島出身者が集う居酒屋「なんくる」で北大東出身の方々と情報交換を行いました。

ここの大将も北大東の出身で、私が今も足繁く通う那覇市のカレー屋で働いていた北大東の民宿・二六荘の息子さんとは同級生なんだそうです。

湧き水fun倶楽部から集まったのは、ぐし代表、ごや副代表、我妻さん、私の4名。


そして、北大東出身者のMさんとSさん。

北大東島は、島の周囲が高く、中央側は低くなっているため、水は中央側に集まって行ったのだそうです。

これは5年ほど前に北大東を訪れたときの写真です。林の向こう側が海寄りで海抜の高い地域です。こうした地形により、海抜の高い地域はより給水に苦労したようです。大東には南北ともに多くの池があり、池の水を浄化して給水していたようですが、上の方1m~1m50cmほどは真水であるものの、さらに下の方は海水が混じってしまっていたようです。そのため、井戸も50近くはあったようですが、埋めたりして今使っているところはほとんどないのだそうです。井戸も、いい水が湧くからと欲張ってさらに深く掘ると海水が混じってしまうこともあったようです。
昭和45年生まれのMさんの話によると、淡水化施設が昭和56年にできるまでは、雨水をためるところから水を汲んで洗濯等に利用した経験もあるそうです。

話は水以外のことにも及び、交換手を通してかけた電話のこと、テレビはNHKしかなくしかもビデオ放送だったことなど、本島よりも30年遅れていると言われる島の生活のことも聞くことができました。


私たちの大好きな大東寿司。大東島は元々八丈島の人たちが開拓した島なので、八丈島の食べ物のようです。まぐろやさわらを漬けにしたお寿司。Mさんによれば、単なる漬け寿司を「大東寿司」と称して出している店がある中、このお店の寿司はおいしい、とのこと。確かに「ほっぺを落としてみせます」の言葉どおり酢のきいたしゃりとネタの絶妙なバランスが絶品のお寿司でした。





久米島の湧水

2014年03月13日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 18:25 Comments( 0 ) 久米島町
今回は、久米島のカーを紹介します。
まずは、山乃井。




場所は、久米島の一週道路、山里農村公園の脇にあります。注意して見ていないと見逃してしまいます。このカーの由来などはわかりません。




次は、ウフガーです。国指定の天然記念物、五枝の松の敷地内にあります。水道が普及するまでは地域住民に利用されていて、ウフガー(産川)と呼ばれるだけあって、産水にも利用されたのだそうです。カーの上にリュウキュウチク(琉球列島にのみ分布する竹の一種)を立てかけて屋根を作り、枯れ葉などが入らないようにしてきれいな水を守っているのだそうです。



最後は、久米島のカーと言えばここ、堂井(ドーガー)。大きすぎて全体を写真に納めるのに苦労します。



この堂井は、銘酒「久米島の久米仙」に利用されている銘水として知られており、こんな伝説もあるそうです。
「夕暮れになると絶世の美女が現れ、野良仕事帰りの若者達に神酒を振る舞っては言いしれぬ酔い心地に誘った。人々はこれを宇江城山に住む仙人の仕業と噂した」というものです。「久米島の久米仙」は「久米の仙人」の言い伝えにあやかったものであるということです。
今もきれいな水がこんこんと湧き出ています。



週刊レキオに掲載されました

2014年03月08日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 12:59 Comments( 0 ) 活動内容
3月6日の週刊レキオに、当湧き水fun倶楽部が掲載されました。

取材があったのは先月22日。


この日参加した8名のメンバー全員からコメントをとり、これらが少しづつ記事になりました。

倶楽部の内外からお声もいただき、反響も大きいものがあります。
私たちの地道な活動に少しづつ脚光が浴びせられていくことに大きな喜びを感じますね。

残念ながら見逃してしまった方はこちらをどうぞ。



恩納村山田のカー~前ガー~

2014年03月04日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 20:56 Comments( 0 ) 恩納村
湧き水カルタの各市町村からの選択がまだ済んでいない恩納村の情報を収集するため、恩納村の博物館に行ってみました。
情報を得たかったのは山田グスクの近くにあるカーについてです。

このカーの全体を撮った写真です。手前に二つあるのは涸れていますが、夫婦ガーでしょうか。本題のカーはその奥、写真右端に写っています。

そして、これが本題のカー。緑豊かな場所にある、石積みの美しいカーです。
たまたま応対してくれたのが文化財担当の方で、地図を見ながら「それは前ガーという」ということを教えてくれました。
そして、山田集落で字誌を作成しているので、公民館に行った方が詳しい話が聞けるかも知れない、と言われたので、そちらを訪ねることにしました。
公民館で書記さんにお話をしてみると、その字誌をいただくことができました。そして、区長に「こんな人が来ている」とお話されると区長が来てくださり、「あのカーは石が有名なんですよ」と一言。


その「有名な石」とは、字誌を見てみると、こう書いてあります。

このカーの前方を囲っている石柱状の石が大交易時代に使われた碇石(いかりいし)だと、県立博物館館長の當眞嗣一の寄稿で発表された。
石の重量から試算すると、200t~300t級の大型貿易船が往来していたことになるが、碇石は沖縄県に4個しかないため、文化財として学術的にも極めて重要である、とのこと。ちなみに、4個の碇石のうち、2個は久米島、1個は糸満にあるそうです。

「前ガーは護佐丸父祖のお墓の下に位置し、その一帯が聖域となっているため伐採するものもなく、深い森を成し、渇水期にも涸れることのない地下水を育んでいるものと思われる、護佐丸が山田グスクに居城している時代から戦後簡易水道ができるまで大いに利用された、簡易水道ができた後もお正月の若水として利用されてきた」とも記されています。区長によると、カーざらい(カーのお掃除)も行っているそうです。
この字誌をいただくときに、どちらから?と聞かれたので、こういう会に所属していてこういう活動をしています、と当会の冊子を差し上げました。すると、区長は興味深そうに冊子を広げ、書記さんからはお水取りの写真について「浦添でこんなこともしているんですね」とお話があったので、国頭の辺戸と浦添の澤岻でお水取りが行われ、首里城に献上する儀式が再現されていることをお話ししました。「辺戸のお水取りのことは知っていたけれど、浦添でもこんなことが行われていることは知らなかった」とのこと。もっとアピールせねば、と思いました。
周辺の雰囲気やその美しさから、以前から気になっているカーではありましたが、学術的にも貴重なカーであることがわかりました。この字誌をくださった公民館の方にお礼申し上げます。おかげさまで、「初出張」が実り多いものとなりました。