2011美御水奉納祭~沢岻樋川編~~

2011年12月31日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 23:59 Comments( 0 ) 湧き水に関する行事
国頭村辺戸区の大川と浦添市の沢岻樋川で取水した水を
お正月行事の聖水として首里城に献上する伝統行事を再現
した美御水(ヌウビー)の奉納祭が12月25日に行われました。
(辺戸大川のお水取りは前回のブログをご覧下さい)
  http://wakimizufun.ti-da.net/e3300479.html
2時からお水取りの儀式が行われるということでしたが、
今回は特別にカメラマンの二ノ宮信夫さんにご同行頂き
しっかりと記録写真を撮るために一時間ほど早く現場に
到着しました。


沢岻の高台にある沢岻樋川は、1000年以上も前から湧き続け
枯れたことがないと言われる名水。
国王の正月行事「お水撫で(ウビーナディー)」にも使われたという
由緒ある湧き水で、現在もこのように清らかな水が湧き続けています。

行事開始30分ほど前から、人が集まり始めました。
語やびら沖縄語(うちなぁーぐち)の会の玉城倭子さんが、
資料として集まったみなさんに配布してくれました。

小さくて見づらいのですが、内容は、

 二水献じ

  12月20日、時之大や屋子一人を遣わし、辺戸へゆかせ
 辺戸の祝女に御崇をさせてから、時之大屋子が水を汲んで
 帰る。
  28日になると、当と勢頭の官は上奏して、その水を固く
 封じて御照堂安置する。元旦に、吉方《俗に恵方とよぶ》の
 水を汲んでくる。女官の内庫理阿武志良礼が、辺戸と吉方の
 水とを王に献上する。

  吉方の水とは・・・以下省略 

  (吉方の水については、去年のブログに記してありますので
   ご参照下さい。→http://wakimizufun.ti-da.net/d2010-12.html )

 この資料にある「吉方の水」のひとつが沢岻樋川。
 そして、その吉方の水の中で、現在も唯一奉納できるのが
 この沢岻樋川なのです。

  この行事の内容については、去年、一昨年のブログを
  ご参照下さい。

   http://wakimizufun.ti-da.net/d2010-12.html (2010)
   http://wakutagushi.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/index.html (2009)

   


沢岻樋川を管理する玉城弘さんが、琉球王府の役人の衣装
に身を包み、登場しました。
早めに集まった湧き水fun倶楽部の皆さんと写真撮影。

見学に集まった皆さんにこの行事の説明をして下さり、

その後、私たちの活動まで紹介して下さいました。
感謝。感謝。です。

そうこうしているうちに、予定時刻の2時をまわり、
旗を携えた一行が姿を見せました。

カメラマンの二ノ宮さんは、沢岻樋川の囲いの石垣の上から
この行事の一部始終の様子を写真に収めました。












参加者の皆さんもそれぞれこの貴重な瞬間を写真に
納めています。

お水取りが無事終了し、代表の方から一言ご挨拶がありました。
「皆さんの健康や幸せも祈願致しましたので
 どうぞご安心下さい」と。
2011年は大変な年でした。
新しく迎える年は、是非、いい年になることを
心から願いたいです。


この後、一行は首里城に向かい、先週、辺戸大川で汲んだ
お水と合わせて首里城に献上されました。

先ほど頂いた資料にも記されていたように、かつて伝統行事
が行われていた時には、「吉方の水」は、お正月の朝、つまり
元旦に若水として汲まれ、その新鮮で神聖なその水もとても
重要な役割を果たしていたということになります。


先週、辺戸大川のお水取りで、玉城弘さんにお会いした
時に、辺戸大川で汲んだお水と沢岻樋川の水を合わせて
今日の日のために御神酒を仕込むとおっしゃっていました。

行事が終わると、早速、その御神酒が振る舞われました。

アルコールのいい香りがプンと漂い、少し酸っぱい味のする
どぶろくのような飲み物でした。

最後まで残った湧き水fun倶楽部の皆さんとまたまた
写真撮影。

今年も本当に楽しい活動をありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いします。


2011御水奉納祭~辺戸大川編~

2011年12月31日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 22:35 Comments( 2 ) 湧き水に関する行事
琉球王朝時代の儀式を再現するお水取りの行事が12月18日(日)
国頭村辺戸の大川(神名 アフリ川)で行われました。

辺戸大川は、集落の東側、安須森(あすむい)の麓にあります。
安須森は、アマミキヨによって作られた琉球最初のウタキであり、
その麓に湧く大川から汲まれた水は神聖な水として国王の年始儀式
「お水撫で」に献上されました。

この行事は「おもろさうし」や「琉球国由来記」にも記されており、
1999年に120年ぶりに復活し、今年で13年目を迎えます。
お水取りは1時半からということでしたが、1時に現地につくと、
すでに神アサギの前に人垣ができており、無事に行事が執り
行われるよう祈願が行われていました。

祈りを捧げる祝女たちの後ろに控えている役人たちも王朝時代の
衣装に身を包み厳かな雰囲気。
お水を入れる壺を持った人の姿も見られます。
祈願が終わると、いよいよ大川に向かいます。
広場を一周し、神アサギを後にします。

太鼓の音が周囲に響き渡ります。

大川は集落から80メートルほど山道を下った場所にあるため、
着物での移動はかなり大変だと思われますが、皆さん慣れた様子
で歩いていかれました。

見学者の皆さんも後をついて下ります。

自然の中でこのような厳かな儀式を見ているとタイムスリップ
したかのよう。

私は下から写真を撮るために先に降りて一行の到着を待ちました。
大きなクバの葉をもった先頭の方が到着。

水を汲む壺を持った方も無事到着。

マスコミのカメラ以外は川を越えることが許されず、参加者は
対岸から儀式を見守ります。
人々の長寿と幸せを祈り水を汲みます。
大川の水を詰めた壺がしっかりと手渡されました。

大役を終えた一行が大川を後にします。

儀式が終わると、見学者の皆さんにも大川への立入が
許されます。

水を汲むための容器を持参した方も多かったようです。

私は10年前に一度、この行事を見学しましたが、
その時には、儀式の後にお水を汲む人がいたという
記憶がありません。
でも、この行事が復活して10年以上たった今、このように
たくさんの人たちが並んで水を汲む様子を見て私はうれしく
なりました。
命の源である水に関する歴史的な行事がたくさんの人の心に
しっかりと刻まれているのですね。

首里の古老の証言によると当時は12月20日に首里から
使わされた役人が辺戸に向かい、28日に首里へ届けられ
たようですが、8日間で往復したことを考えると全行程が
徒歩だったとは考えにくく、馬かやんばる船か・・・。
想像してみるととてもワクワクします。

(文 ぐしともこ 写真 わたなべたつや・ぐしともこ)

2011御水奉納祭~沢岻樋川編~へ続く。


首里王府の「お水取り行事〜美御水奉納」

2011年12月12日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 20:29 Comments( 0 ) 湧き水に関する行事
首里王府のお水取り行事~御水奉納祭が、
12月18日(日)午後1時30分より
国頭村辺戸にある「辺戸大川」で
行われます。

他の方のブログですが、写真がとても
きれいなので、リンクさせていただきます。
(このような厳かな儀式で毎年再現されています)
        ↓
http://ryuqspecial.ti-da.net/e1917013.html
http://ryuqspecial.ti-da.net/e1917174.html

そして、翌週の12月25日(日)午後2時より
浦添市沢岻の「沢岻樋川」でお水取りが行われます。


(2009.12)
記事はこちらをご覧下さい
http://wakimizufun.ti-da.net/d2010-12.html (2010)
http://wakutagushi.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/index.html (2009)

どちらも自由に見学ができます。
沖縄の歴史、文化、そして何よりも神聖な湧き水が
今もこのように大事にされていることを誇りに感じます。



沖縄の水道の変遷と現状~湧水水源の利用状況~

2011年12月04日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 20:52 Comments( 0 ) 勉強会
11月26日(土)の勉強会は、浦添市男女共同参画推進ハーモニーセンター
にて行われました。
講師は(財)沖縄県環境科学センター 評議員の金城義信氏です。

金城氏は、1960年に米軍水道局水質試験所でお仕事を始めて以来
現在までのおよそ50年間にわたり水道関係業務に従事していらっしゃる
スペシャリストです。

琉球水道公社、沖縄県企業局と沖縄の水道業務時代のご経験から
沖縄の地理的、地質的、歴史的要素を含めて水道の歴史をわかりやすく
お話し下さりました。

沖縄の水道のはじまりは明治16年頃。
那覇の落平樋川(ウティンダヒージャー)の水を土管で給水しました。

たまたま、私が2ヶ月ほど前に現在の落平樋川の写真があります。




現在は住宅公社の建物の中央部に拝所として残されていますが、
わずかにしみ出す水が流れ落ちる樋があり、今も多くの人がこの湧き水を
大事にしているのがわかります。

落平は、水量の豊富な湧き水が崖の上から流れ落ち、その水を
伝馬船に乗せて水を売る光景が見られたという話も聞いたことが
あります。その水を引いたのが沖縄の水道の始まりなのですね。

その後、自然の水を「ろ過」「消毒」し、「管路による圧力給水」で
水を送り出す「近代水道」が沖縄で始まったのは1933年(昭和8年)。
日本では明治20年に横浜が始まりで、沖縄では那覇。
いずれも共通するのは港町であること。
港から入る伝染病予防対策として衛生的な水が必要だったというのが
その理由だそうです。

那覇に戦前から水道が敷かれていたというのは本当に驚きでした。
当時の水源は宜野湾市大山の湧水群(青小堀・オオグムヤー)。
人口6万人、一人一日平均56リットルの水が給水できたそうです。
しかし残念ながら、那覇の近代水道は1944年10月10日の大空襲で
水道施設が破壊され7年間、水道空白時代が続きますが、その後
昭和63年まで使われたそうです。
(私は小学校の社会見学で訪れた「泊浄水場」がこの施設であった
ことをあらためて知りました。那覇で生まれ育った私はこの水に
大変お世話になったことになります。合掌。感謝。)


那覇市以外の市町村も、戦後、近代水道が次々に敷設されました。
ちなみに浦添市に近代水道が敷かれたのは昭和37年で県内では
は10番目なのだそうです。


しかし、戦後、人口増加やひとりあたりの水の使用量が増え
沖縄県内は慢性的な水不足が深刻な問題となりました。
私も小さい頃から「渇水対策」とか、「隔日給水」とか
難しい言葉を自然に覚え、学校でも節水について細かな指導
があったことをよ~く覚えています。中学生の頃に沖縄で
行われた「人工降雨」についてもとても興味を持ち、
「飛行機に乗って水をまいて雨を降らせる」というしくみが
大変不思議で、つぎつぎ想像を膨らませ、不謹慎にもワクワク
したことを思い出しました。
 県民の命を預かる重大な仕事として当時、飛行機に搭乗された
おひとりが金城氏だったことを知り、とても頭が下がる思いがしました。
(詳細は企業局のHPよりご覧下さい。
         ↓
http://www.eb.pref.okinawa.jp/siryokan/ayumi/kyusui_seigen/index.html

様々な技術の進歩で、現在、沖縄本島内の慢性的な水不足はかなり
解消されいます。

現在、那覇市を含む市町村がお世話になっているのが
北谷浄水場。

「ろ過設備」に加え、「生物処理」「オゾン・活性炭処理」「ペレット処理」
(沖縄中南部の硬度の高い水を軟水化するための処理)、「海水淡水化施設」と
安全で美味しい水を確実に送り出すための大規模な施設にこれまた驚きです。
日頃、私たちがお世話になっている水道の水がこれだけのテクノロジーの成果
だとは。。。

ただ、沖縄は離島を中心に今だ水不足や断水に頭を悩ませている地域も多くあるのが
現状で、このように技術が進歩したとはいえ、多額な設備投資が必要な処理施設や
海底送水などを負担する方法でしか、安全でおいしい水を充分に得ることができない
という現実はとても重いものだと感じました。

以前、断水が深刻な時期に座間味島に取材に行ったことがありますが、島民が水に
困っている時期に、ダイビングを目的に観光に訪れる人たちがダイビングの機材に
ついた潮水を抜くための水がなく、今は飲み水に使用していない湧き水を利用して
いたことを思い出しました。地元の方達は「ダイビングは、水を多く使うからね~」
とおっしゃっていましたが、観光に訪れる人が多くいることはいいことだけれど、
このような問題があることについて複雑な思いがしたことを改めて思い出します。


降水量は全国平均より多い沖縄ですが、季節変動が大きく、人口密度が高いので
一人当たりの換算では全国平均の半分しかない上に、高い山がなく川が短いこと
もあり、地下水にたよる現状も多くみられます。

実際に、豊富な水源を持つ湧き水は、沖縄県民の水の源として今も活躍しています。

北部で代表的なのは本部町の「並里湧水」や名護市の「スンジャガー」

南部では、なんといっても八重瀬町の「ギーザガー」

この湧水には日本最大の「テナガエビ」が住んでいるそうです。
そして、宮古島においては、雨水の40%が地下水になるそうです。


水量や水質はどうしても地形や地質の影響を受けざるをえないのですが、
山や川が少なく土地が狭い沖縄では、地下水は重要な資源であることを
今まで以上にに認識しなければいけないと感じました。

東日本大震災は、日本中が電力の問題と向き合う大きな契機となりました。
同じライフラインである「水」に対しても、同じくらい真剣に考えなければ
と思いました。
今回の金城氏のお話を聴いて一番感じたのは、水道の水はタダ当然くらいに考え、
ミネラルウォーターを購入する生活を送っている自分の生活を当たり前だと思って
はいけないということでした。
安心して飲め、衛生的な水道の水はたくさんの人や技術に支えられていること、
でもその水自体もとても貴重な資源であること、大きな災害時には、今の生活
の状態での使用ができなくなってしまえば、たちまち生活自体が混乱すること
それを忘れずに、日頃からできるだけ水を大切にするように心がけ、まさしく
「有難い水」として接することを真剣に考えたいと思いました。

身近な湧き水(地下水)を見直し、水質をこれ以上悪化させないよう、水量を
これ以上減らさないように、地域それぞれが湧き水を知り、守っていくこと
もとても重要なことだと思います。


身近な水質を調査するための簡単な調査方法を、沖縄県環境科学センター
の桂 浩史さんが教えて下さいました。

桂さんは「沖縄の湧水を調べてみよう」という資料も提供して下さり
水質を調べるための「パックテスト」について説明してくれました。

このような小さなスポイトのようなプラスチックの容器に水を吸い込む
と、2,3分で色が変わり、その水の汚れがわかるのだそうです。

参加者の皆さんもそれぞれ手にとって体験し、その後は皆さんそれぞれ
交流会のような自由な形で意見交換会となりました。

水の専門家の皆さんも何人か訪れて下さり、参加者は「水談義」を
まさに「水」を得た魚のごとく生き生きと語り、交流を深められた
ことをとても嬉しく思いました。

最後は講師をつとめて下さった金城氏にお礼の品をお渡しして記念撮影。

金城氏は今年素敵なエッセイ集を出版され、私も拝見させて頂きました。

その中で金城氏がとても大切にしている中国の言葉を最後にご紹介させて
いただきたいと思います。

「飲水思源」

 水を飲むときは、井戸を掘った人の苦労に思いをいたし感謝の気持ちを忘れるな

金城氏の偉業に感謝をし、これからも水を大切にする心を忘れずに
活動を続けていきたいと思います。

金城さん、すばらしいお話しを本当にありがとうございました。