3月定例会~「グスクとカー(首里城編)」

2022年03月28日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 14:27 Comments( 1 ) 勉強会 定例会
3月19日は、3月定例会が行われました。今回は「浦添市市民の学び応援講座」の第5回目として、また、講座「グスクとカー」の第4回目として、首里城での散策・勉強会です。講師にお招きしたのは、那覇市歴史博物館館長や那覇市中央公民館館長を歴任され、現在は郷土史研究家としてご活躍の古塚達朗先生です。先生は、数年前のNHK「ブラタモリ」那覇編で案内人を務められたことでも知られています。

前日と打って変わっていいお天気に恵まれました。午前10時前に守礼門前に集合し、早速スタートです。

【守礼門】

こちらでは、「門とは言っても扉がなく、平和の象徴であること、中国の飾り門の風習を取り入れつつ、日本の建築様式を採用していること、現在の「琉染」の付近に中山門があり、そこと守礼門を結ぶ綾門大道(「あいじょううふみち」又は「あやじょううふみち」)と呼ばれる大きな道があったこと、屋根部分に桃の模様があるが、桃には強い魔力があるとされ、ヤナムン、マジムンを追い払うという意味があること」などのお話がありました。

【園比屋武御嶽石門】(そのひゃんうたき)

こちらでは、「守礼門付近から見る大きさと正面から見る大きさが違って見えるが、これは、床部分の中央がやや盛り上がっていることや、床や壁自体が斜めになっていることなどから目の錯覚でそう見え、上から見ると台形のような形であること、門の上の部分はアーチのようでアーチではないこと、竹富島の西塘という石工が設計を担当し、その功績から彼は郷土の偉人として八重山を統治し、御嶽に祀られていること、修復には困難を極めたが、この技術がイースター島のモアイ像にも活かされていること」などの話がありました。

【歓會門】

歓會門では、「アーチの部分がギリギリの計算で組み合わされており、一つでも石が抜ければ倒壊すること、日本初の石造りアーチ橋である長崎の眼鏡橋よりも古く、これを16世紀にやっていることはすごいことであること、石の大きさが横に長く奥行きが短いのは琉球で編み出され発達していたスタイルであり、これらは後にフールにも活用されたこと」などのお話がありました。ここで、参加者から「この石はどこから運んできたのか」という質問がありました。先生からは「よくぞ聞いてくれた。大阪城などは日本全国から石を集めていて、それぞれの石にはマークがありそれを見るとどこの藩から運ばれてきたかわかる。首里城では、琉球石灰岩の山を平らにするために切ったものを積み上げただけで、よそから運んできたものではない。それは中城でも座喜味でも今帰仁でも同じ」とのお話があり、とてもすばらしいことだと参加者の皆さんは感じたようです。
 また、歓會門をくぐって瑞泉門の近くでは「歓會門はアーチ状であるが、瑞泉門はアーチ状でなく、どちらの門にも獅子が鎮座していて、瑞泉門が第一尚氏時代のもの、歓會門が第二尚氏時代に増築されたものであること、城壁には狭間がなく攻撃の際は不利だったため、薩摩が攻めてきたときにはすぐに落城してしまったこと、ペリーが来た際には城壁をよじ登ることを想定し、指がかからないように漆喰を塗ったことが最大の防御であったこと、しかし、歓會門の上部には弓や槍などの武器が保管されていたこと」などのお話がありました。

【龍樋】


龍樋では、「本来の名称は「瑞泉」であるが、龍の口から水が出ていることから「龍樋」と呼ばれていること、龍頭は尚真王の時代の三司官である沢岻親方(たくしうぇーかた)が1522年に中国から持ち帰った実物であること、戦争で鼻の一部が欠けたが修復されたこと、この水は国王のためのものであるが、中国皇帝と同じ扱いを受ける冊封使にも振舞われ、冊封使が滞在している天使館まで毎日運ばれたこと、水質を調査した結果この水は本物の湧水であること」などのお話がありました。また、「この周辺の地層がものすごくタチの悪い不透水層であり、これがこのすぐ下にある「第32軍司令部壕」の保存・公開には大きな難問となっていること、これら地層の問題は現代科学をもってしてもいかんともしがたいこと」などのお話もありました。参加者からは「壕を造る際に地質を調べなかったのか」という質問が出されました。先生からは「それは、長く持つ必要がなかったため」とのお話がありました。

また、「首里赤田集落は赤土で、米作りのための代搔きをすると龍樋の水が赤く濁ったために米作りが禁止され、その代わりに泡盛造りをさせられるようになった」との言い伝えもあるそうです。

 漏刻門を抜けると広々とした景色が広がり、ここで首里城からの水の旅のお話がありました。

【下之御庭】(しちゃぬうなー)
廣福門をくぐり抜け、下之御庭に着きました。ここで、首里城の見取り図を元に解説をしていただきました。

「この正殿の中では、2階部分が一番重要な場所であったこと、それはそこが祈りの場であり、琉球屈指の聖地であったこと、首里城には全部で33匹の龍がいるが、1匹だけ対ではなく正面を向いており、これは国王の象徴であったと考えられること」などのお話がありました。「火の神」(ひぬかん)を今のコンピュータのサーバーに例えたお話はとても面白いものでした。

【遺構】
いよいよ、有料区域に入り、遺構へと到着しました。


遺構については、「これこそが世界遺産であること、ユネスコへの世界遺産登録に際してその真実性を証明するために遺構の周辺に正殿を復元したこと」などのお話がありました。

【井戸状貯水遺構~寝廟殿~東のアザナ】


「井戸状貯水遺構は、井戸ではなく、天水を溜める施設であったこと」「白銀門の奥には寝廟殿があり、ここはすなわち国王の亡骸を安置する場所であり、門が開いていることは縁起の悪いことであったこと」とのお話がありました。
また東のアザナでは「この90cmの道幅が昔の道の基本であり、あぜ道などもこの幅であること、その倍の180cmの道幅は割と広い道であり、首里金城町の石畳は360cmであること」とのお話がありました。
この日は見晴らしが良かったため、弁ヶ岳や久高島だけでなく、慶良間や島尻一帯、北には読谷残波岬や恩納方面まで望むことができました。弁ヶ岳から湧き出た水は首里城の南北を囲むように流れ出し、後に那覇市大道付近で合流して安里川、久茂地川へと注ぎ、ここは風水上とても縁起のいい場所であるということを実感することができました。

城外へ戻る途中、お風呂を見つけました。皆さんからは「露天風呂として営業すればいいのに」との声が聞かれましたが、足下がごつごつした石なので、健康風呂以上のとてもつらい入浴になりそうです。

【銭蔵】

「ここは、貴重な貿易品であった泡盛の保管倉庫であったこと、伊達政宗公の江戸屋敷跡から壺屋の酒器が見つかっており、これらは琉球から将軍に献上されたものが渡ったものであると考えられること」などのお話がありました。

【寒水川樋川】


「寒水川樋川(スンガーヒージャー)は、「冷たい水が湧き出る井戸」という意味で、同じ名前の樋川が首里寒川町や首里赤田町にもあり固有名詞ではないこと、この水は家来達が使う水であるが、防火用水としての役割もあったこと」などのお話がありました。
ゆるゆると流れ出る水の中にカニがいて、それを見つけた小さな女の子が大はしゃぎしていました。

【国王のサービス施設】

「「龍樋」や「寒水川樋川」から流れ出た水は暗渠を通り、ここから流れ出ていて、首里城にやってきた人はここで汗を拭きのどを潤すことができたこと、今日は水が出ていないが、大雨の後などは流れ出ていることがあること」などのお話がありました。(ちなみに、首里城公園で販売されている「首里城」という冊子の中にある久慶門の写真ではここから水が流れ出ていることが確認できます。)
先生はこれを「国王のサービス施設」と呼んでいて、参加者からは「来城者は水を我慢しなければならないのかと思った」と、粋な計らいに感心している様子でした。

参加者からは、「小さいころ、学校の行き帰りに龍樋の水を飲んでいた」と思い出を語る声や、「次回は先生に識名園の案内をお願いしたい」など早くも次回の開催を望む声も聞かれました。また、樋川だけでなく、貯水遺構、泡盛と、水にまつわるお話をしていただき、わかりやすく楽しいお話に皆さんとても引き込まれたようです。いろいろと理解した上で見る首里城がこんなにも楽しく奥の深いものであることを痛感し、まさに「ブラタモリ特別編」のような充実した時間でした。

ちなみに、私達湧き水fun倶楽部は、2019年の12月にも今帰仁のバスツアーで先生とご一緒させていただいたことがあります。

このときは、湧き水やそれらにまつわる歴史だけでなく、ブラタモリ撮影時の裏話などを披露してくださいました。

そしてこちらが、そのブラタモリ放送時の映像。先生のお話によれば、このころよりも20kgほどスリムになられたそうです。そのせいか、だいぶお若くなられた印象を受けます。(写真は、放送時のテレビ画面から)
今回、私たちのためにお時間を割いて下さった古塚先生に心より感謝申し上げます。

【ここまでのグスクとカーの開催内容】
これまで、グスクとカーをめぐる勉強会は4回開催しました。記念すべき第一回目は、2017年4月。後に座喜味グスク、中城グスクへと居を移す護佐丸公が居城した山田グスクとそのすぐ近くにあるメーガーをめぐりました。講師は恩納村教育委員会の崎原さん。


第二回目は2019年4月。第六代国王尚泰久やその娘である百度踏揚の御墓、近隣に点在するカーをめぐりました。講師は「アマミキヨ浪漫の会」ガイドの嶺井さん。


第三回目は2021年4月。座喜味グスクと城主専用だったと言われるウェーガーを訪ねました。



そして第四回目は2021年12月。第三回目の続編として、座喜味グスク周辺の集落の人々の生活に迫りました。


第三回目と四回目は、琉球大学風樹館の学芸員で座喜味生まれの座喜味育ちである島袋さん。
それぞれの勉強会についてはブログの記事がありますので、興味のある方はそちらをご覧ください。
今回、こうしてとうとう本丸である首里城にたどり着き、感慨深いものがあります。今後も新たな発見をめざして勉強会を続けて行きたいと思います。