3月定例会(グスクとカー:読谷村座喜味編)

2021年03月14日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 20:08 Comments( 1 ) 勉強会 定例会
3月13日は、久々の定例会が行われました。この日のテーマは、3回目の企画となる「グスクとカー」として、座喜味グスク周辺の散策・勉強会です。(第1回目は、恩納村山田グスク:2017年4月開催。第2回目は、南城市富里:2019年4月開催。)また、「浦添市市民の学び応援講座」の今年度第3回目でもあります。そしてこの日は、先週7日の「ウチナー紀聞」をきっかけにご連絡をいただいた棚原さんにもご参加いただきました。
座喜味グスクは、かの護佐丸公が1420年頃から1440年頃まで居城したグスクとして知られていますが、グスクの内部にカーの痕跡がないことでも知られ、いざ有事となった際の水の確保はどうしていたのだろうか、という謎が解明されていません。今回の勉強会で何かヒントが見つかるのでしょうか。


この日の講師は、琉球大学風樹館学芸員であり、琉球大学を中心とした「水の環プロジェクト」で以前から湧き水fun倶楽部とお付き合いのある島袋さんにお願いしました。島袋さんは、座喜味生まれの座喜味育ちなのだそうです。

事前に立派な資料3点セットをご用意いただき、


島袋さんが製作された地図などを元に、グスクと集落の人々との関わりはあまりなかったこと、昔話や伝説にグスクに関するものがないこと、グスクの築城にあたっては与論から人々が連れてこられたこと、グスクの周辺を川に囲まれており水に恵まれていたことから農業が盛んで、小さな集落の割には豊かであったこと、などを学びます。
2つ用意されたコースの中から、グスクのほぼ東に位置するウェーガーを訪れるコースに決定し、早速出発します。

ユンタンザミュージアムのわき道から森の中へ入っていきます。読谷村は様々な土壌が混じっており、沖縄本島北部と同じような植生も見られるのだそうです。また、祭祀場のことを北部では「神アサギ、神アシャギ」、中南部では「殿(とぅん)」と呼び方が異なるものの読谷ではどちらも使うことがあるそうで、そうしたことが「読谷は北部か、中南部か」という議論の要因にもなっているそうです。


確かに、やんばるの森のようでもありますが、少し異なるような気もします。


山道を歩くこと数百メートル、グスクの城主専用であったと言われる「ウェーガー」に着きました。ここは神聖なカーで、はしかにかかったときにここの水で水撫でをすると早く治ると言われていたそうです。このカーは、案内板やガイドマップにも場所に関する詳しい記載がなく、足元も悪いことが多いため、たどり着くのが難しいこともあるそうです。また、この名前の由来は、護佐丸公が今帰仁村に由縁があることから、今帰仁のウェーガー(親川)にちなんで名づけられた可能性もあるとのこと。「言われてみれば、今帰仁のカーに似ているかも知れない」との声もありました。

今もわずかですが、清らかな水が湧き出ています。護佐丸公自らが水を汲みに来ることはなかったのでしょうが、その当時からこのカーが存在していたことを思うと感慨深いものがあります。



森を抜けると、休憩所がありそこで一休みです。

ここで島袋さんから、「豆と藁と炭」という座喜味の民話の紹介がありました。これは、「そら豆の口がなぜ黒いのか」という座喜味に伝わる民話で、島袋さんの曾祖父である島袋亀次郎さんから聞き取ったものだそうです。そして、読谷村史編集室のHPでは亀次郎さんの肉声も聴けるというお話をお聞きしました。島袋さんの軽妙な語り口についつい引き込まれ、私達の話はムーチー作りにも発展しました。親から子へ、姑から嫁へ、と受け継がれてきたはずの各家庭の味・伝統の味が、買ってきて済まされている現状にまで話が及び、語り継いでいくこと、受け継いでいくことの大切さを痛感させられました。
亀次郎さんの肉声はこちら。
↓  ↓  ↓  ↓
https://yomitan-sonsi.jp/story/aza_m/zakimi/


森から戻ったあとは、グスク内部の見学です。

このグスクの特徴として、国頭マージという地盤の弱いところに建てられているため、城壁がかなり厚みがあることが説明されました。また、門の天井にクサビ石が打ち込まれており、これは他のグスクでは見られないことなのだそうです。

座喜味グスクは、外見の美しさとは裏腹に、軍事要塞としての機能にも優れていたようで、そうしたことが、このグスクの魅力を引き立てているように思います。また、様々な資料にも乏しく、グスクのみならず、護佐丸公が中城グスクに居を移した後、この集落ではどんな人々がどんなことをしていたのかということも記録がないとのこと。結局この日の勉強会では「水の確保」の謎は解けませんでした。永遠の歴史ロマンとして語り継がれていくのでしょうか。

予定時刻の12時ころ、グスク城壁からの雄大な風景を眺め、この日の散策・勉強会の日程はすべて終了です。この日、講師を勤めてくださった島袋さん、本当にありがとうございます。心よりの感謝を申し上げます。




ごや副代表のテレビ出演(ウチナー紀聞)

2021年03月07日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 20:36 Comments( 0 ) その他
今日3月7日は、RBC「ウチナー紀聞」にごや副代表が出演しました。
番組は「マチと樋川の物語」と題したテーマで、ごや副代表が湧き水の魅力について語りました。(以下の写真はすべて番組の映像を利用させていただいています。)

番組のレポーターは、ラジオ沖縄などでご活躍の川満アンリさん。
番組では、首里儀保町にある「宝口樋川」や、那覇市天久の「崎樋川(サチヒージャー)」「坂中樋川(フィラナカヒージャー)」、北谷町の「ウーチヌカー」、北中城村の荻堂大城樋川群が紹介され、「宝口樋川」は「琉球紙」造りにとても適した水であることや、「ウーチヌカー」は付近の出土品などから約6000年前から利用されていたと考えられ、沖縄最古のものであろうことなどが紹介されました。琉球紙は、水の質によって出来上がりが左右されるそうで、宝口樋川の水は質のいい紙ができあがるのだそうです。

この番組の中でごや副代表は、湧き水の魅力について、

①この場所でどんなことをしていたのだろうかと空想し、昔の暮らしの跡を見つける
②大きな災害があったときの水源としての確認
③湧き水に残る歴史や伝説を親子などで散歩しながら楽しむ
の3つをあげ、湧き水への想いを語りました。

また、荻堂大城では、以前の忘年会湧き水バスツアーで案内をして下さった大城花咲爺会の外間裕さんも出演されていて、お元気そうな姿を拝見することができました。




南城市のカーをめぐる

2021年03月07日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 14:29 Comments( 0 ) 湧き水散歩
先日、南城市を訪れる機会があったので、カーめぐりをしてきました。

まず最初に訪れたのは、玉城船越にある「船越大川(ふなこしうっかー)」。200年以上昔に作られたものと思われるそうです。

水量は豊富なのですが、

樋から水は出ていません。きっと、下の水溜めのところから湧き出ているのでしょう。


次は奥武島の「西ガー(いりがー)」です。奥武橋を渡ってすぐ正面右手に見える仲本鮮魚てんぷら店のすぐ横にあります。

中を覗いてみると、残念ながら、ゴミがたくさん浮いています。ちゃんと柵がされているので、無理やり押し込んだとしか思えません。

その「西ガー」から数十mほどのところにある「産井戸(うぶがー)」に行ってみると、お近くにお住まいと思われる方がいらっしゃいました。

声をかけてみると、「ウガンブトゥチで一年間の感謝を伝えに来た」とのことでお供え物も持参されていました。後ろ姿なら、と許可をいただき撮影させていただきました。こちらは以前、青年会の皆さんが若水を汲んで地域の方たちにお届けする姿を拝見させていただいたので、そのことも尋ねてみると、今も続いているとのことでした。




上の3枚は、2007年の旧正月に若水を汲みに集まった青年会の皆さんと、各家庭に配られた若水。時間は午前5時ころです。電気の点ているご家庭には直接手渡し、いらっしゃらないご家庭には玄関前などに置いてまわります。


知念志喜屋の「親川(えーがー)」は残念ながら涸れてしまったようです。

上の写真は、2007年の「親川」です。雨季になれば水量が戻ることがあるのでしょうか。そうあってほしいです。


こちらは「親川」から少し上ったところにある「カンチャ大川(かんちゃうっかー)」。

近くにお住いのoさんにお聞きすると、「子どものころは泳げるくらい水量があった」、とのこと。その方の年齢から考えると、昭和40年代半ばくらいでしょうか。しかし今ではほんの10cmほど。

そうは言っても、イモリもたくさん泳ぐ清らかな水。付近で栽培されているクレソンの生育にも欠かせないものであるはずなのでいつまでも大切に残していただきたいと思います。


こちらは「具志堅の樋川」です。昭和4年の完成だそうです。

水量はさほどありませんが、涸れることなくしっかりと湧き出ています。

今回初めて気づいたのですが、注ぎ口は3か所ではなく、4か所でした。

カーの前の花木もきれいに手入れがされていて、落ち着く雰囲気です。



具志堅の樋川から少し山の方に入ったところにある「知念大川(ちねんうっかー)」。
数年前になんじょう市民大学が主催した「かーオブザイヤー」でも訪れたカーで、琉球国王が自ら参拝する聖地だったとのこと。

中を覗いてみると、残念ながら少し淀んでいるようです。今は特段活用もされていない様子でした。

これは2018年、かーオブザイヤーの写真です。このときは、「気ままにロハススタイル」の取材もありました。



そして、国道331号からわずかに中に入ったところにある「ウフミチガー」。
大きな道のそばにあることからついた名前のようです。

こちらも少し濁っているような水でした。



最後は、帰り道で偶然見つけた佐敷手登根にある「名幸井(なこうがー)」。
樹木が生い茂って、まるで大きな植木鉢のようで、これはこれでおもしろいと思いました。

この日は天気もよく、とても気持ちのいいカー巡りでした。
姿かたちを変えてしまったカーもあるようですが、由緒ある素敵なところばかりですので、時間を見つけてほっと一息つきに訪れるのもいいかも知れません。ただし、「カンチャ大川」や「知念大川」は国道から少し入るため少しわかりにくく、道の細いところもありますので、地域の方々の往来に支障をきたさないよう充分気をつけてください。