湧き水fun倶楽部の9月の定例会は、浦添市水道部配水課長の真栄城守邦さんをお招きし、『熊本大震災復興支援の報告会』を行いました。
阿蘇山の麓に湧く豊富な地下水で生活している熊本では、熊本市で100%、県全体でも80%の上水道が地下水でまかなわれ、「火の国(火山)」そして「水の国(地下水)」と言われているそうです。
震災直後、湧き水の国、熊本の災害復興のために何か湧き水fun倶楽部として私たちにできることはないかと考え、「とにかくまずは募金をしよう」と、4月の定例会にはチャリティカラオケ大会を行いしました。
翌月、少ない金額ではありますが、いつも湧き水fun倶楽部を取材してくださる「沖縄タイムス社」を通して募金をしました。
次にできること、この震災で湧き水の豊富な地域ではどのようなことが起こり、もし、ここ沖縄で災害が起こってしまった場合には、どのような対策が必要なのか、減災のためにできることは何なのか、そんなことを考えるきっかけにしたいと、学習会として真栄城さんに現場の様子を報告していただくことをお願いすると、お休みの日にもかかわらず、快く来てくださいました。
震災から約一か月後、熊本県阿蘇郡西原村に派遣された真栄城さんは、水道の復旧作業にあたったそうです。
本震のあと、西原村では約2500世帯が断水したそうですが、村営水道と民間水道(簡易水道)を使っている(選択できるのだそうです)世帯があり、それぞれに対処の仕方も違い、配水管がどのように地中に埋まっているかも把握できず、復旧もとても大変だったようです。
印象に残ったのは、一か月も水がでないのに、地域の人たちはそれほど怒っている様子もなく、真栄城さんたちのように水道の復旧支援のために派遣された方々は、地域の人たちから「ありがとう」とよく声をかけてもらったそうです。
それに関して真栄城さんは、はじめ不思議に思ったそうですが、地域の井戸が活躍していたことをお話しされていました。
(上の写真はなみまるさんよりお借りしました)
水が出ない一か月の間、井戸や川から水を汲み、車で運んで洗濯や飲み水(沸騰させて飲んでいたようです)、お風呂と、地域のきれいな水のおかげでなんとか暮せていたようだということでした。これは本当にすごいことだと思います。沖縄ではとても難しいのではないかと心配になりました。
「トイレの水はどうしたのでしょうか?」
と伺うと、それぞれ浄化槽を使用していたので、それほど困った様子はなかったということでした。
「簡易水道」「浄化槽」といえば、一昔前のライフラインの印象がありますが、真栄城さんはある意味『自立していた』という表現をされていました。
現代の上水道、下水道設備は確かに機能的で衛生的にも優れているように感じますが、一方で大規模な災害が起こった場合は都市機能としてのライフラインの壊滅的な被害が、人々の暮らしの質を大きく下げ、対応がむつかしくなることもあるのだと、真栄城さんのお話しから感じました。
会員の皆さんは熱心に真栄城さんの話に耳を傾け、当時の様子を質問しながら報告会は進んでいきました。
最後は、現場で撮った写真の中から、現地の様子や地元の人たちが復興に向けて前向きに取り組んでいる様子、そして5日間の支援を終え、帰路に就く途中、熊本空港から飛び立った際に真栄城さんが飛行機の中からとった西原村の様子が心に残りました。
まだまだ復興には時間がかかり、不自由な生活を送っていらっしゃる方も多いと聞きます。
これからも、熊本には関心を寄せていき、災害時を想定して、沖縄の身近な湧き水に関して情報発信をしていきたいと思いました。
最後に、湧き水fun倶楽部副代表のごやかずえさんから、お礼の言葉とお礼の品『沖縄の湧き水かるた』をプレゼント。
とてもいい学習会となりました。
真栄城さん、本当にありがとうございました。
なみまるさんのブログにも詳しく内容が記載されていますのでリンクします。どうぞご覧ください。
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http://nami5963.exblog.jp/26015922/