12月15日は、国頭村の辺戸大川でのお水取りが行われました。
お水取りとは、文献によると「王府は琉球開闢(かいびゃく)の聖地である安須杜(あすむい)のおひざ元、辺戸大川(へどうっかー)へと旧暦の12月20日に使者を送り、「美御水」(ぬーびー:額に水をつけて健康を祈願する儀式のこと。)を取り寄せていた。使者は王府からの供物をシチャラ嶽に、聞得大君(きこえおおぎみ)からの供物をシチャラ嶽、アフリ川、辺戸ノロ火神(ひぬかん)に奉じた。首里城へと持ち帰る12月の水は元旦の御水撫で(うびーなでぃ)に使ったという」とあります。1879年まで続けられていたこの「お水取り行事」が1999年に120年ぶりに復活し、今年で復活15周年を迎えます。
当日のタイムテーブルとしては、
13:00~13:20 神アサギにおいて、お水取り行事の開始、行事が無事に執り行われることを祈願。
13:30~13:50 辺戸大川において、清水を7回クバの柄杓ですくい、万国の安寧と太平、五穀豊穣、航海安全、御万人に健康長寿を祈願。ちなみに、「沖縄の水の文化誌」等の著者であり興南高校の教師でもある長嶺操先生の本によると、辺戸大川は、「俗に大川ト云。神名、アフリ川と云」との記述が「琉球国由来記」にあるそうです。王府の体制ともからんで、重要な拝みガーとなったと考えられる、と長嶺先生。
14:30~15:15 お水を供え、祖先への感謝と無事に首里城へ奉納されることを祈願。
となっています。
集落内を歩いているとこのような張り紙が(撮影:ぐし)。「“ご苦労さま”じゃなくて、“お疲れさま”だろう!」などと私たちはよく会話をするのですが、王様のお使いの方達が来られるのですから上から目線の「ご苦労さま」で正解なのでしょうね。
まずは神アサギでの祈願です。祈願の最中の写真撮影は禁止、携帯の電源も切るか、マナーモードへ切り替えるよう注意があります。また、規制線も張られ自由な角度からの見学もできません。本当に王様へ献上されるかのごとく大変厳かな空気の中、行事は進められていきます。
お水取りの一行が現れる前、ぐし代表が同行者にお水取り行事について解説をしていると、たまたまそばで写真撮影をしていた方がこれを聞きつけ、私たちに声をかけてきました。ぐし代表が「こういうことをしている者です」と名乗ると非常に興味深そうにしていたので、たまたま持ち合わせていた冊子「浦添の湧き水」を差し上げると非常に喜んでくださいました。
一行をお迎えする準備が整いました。そして、一行の登場です。
一連の祈願が終了すると、辺戸大川でのお水取りへと向かいます。
神アサギから数十メートル下の谷底へ降りて行きます。
そして、お水取りを終えた一行は、また集落へと戻り、道ズネー(行列)をなしてシチャラ嶽へと移動します。
一連の儀式終了後、お供えしたお米や、なんと!宜野湾市大山の田芋パイが配られました。
余談ですが、この行事の神女を勤めるのは、沖縄出身の歌手で女優のGWINKO(ぎんこ)さん。今の芸名は美良樹吟呼(みらいぎんこ)と言うそうで、実はアクターズスクールの第一期生なのだそうです。
行事の最中は行事に集中しているためか無表情なのですが、柔和な表情で記念撮影もしてくださいました。
先人たちが築き上げた琉球の文化を継承し、やんばるの美しい自然と、生命の源である清水を慈しみ、新しい年の平和、御万人(うまんちゅ)の健康を祈るお水取り行事。この行事が今後末永く継承され発展していくことを祈念します。
なお、文章の一部は、主催団体である「首里王府お水取り行事実行委員会」発行の「首里城お水取り行事」のパンフレットから引用させていただきました。
また、張り紙の写真と2011年の写真2枚、下の写真の計4枚を除く、迫力ある写真のすべては、セミプロカメラマン、二ノ宮信夫さんの撮影によるものです。
シャッターチャンスを逃すまいと、しゃがみ込んで撮影する二ノ宮さんです。
二ノ宮さんのご協力に心から感謝いたします。この場を借りて御礼申し上げます。