4月15日、湧き水fun倶楽部の定例会(勉強会)が行われました。テーマは歴史で、企画は渡辺が担当しました。
私が選んだのは、私が大好きな恩納村山田にあるメーガー(メーヌカーともいうそうです。)と、かの護佐丸公が座喜味グスクへ居を移す以前の居城であった山田グスクです。山田グスクは、2008年(平成20年)4月、国指定文化財の指定を受けました。


講師は、恩納村教育委員会文化財担当の崎原恒寿さんです。

講座は午前10時から、最初の約1時間は座学です。
座学では、まず「文化財とは?」という定義から始まります。
文化財と言っても、その分類は様々であって、重要無形民族文化財、重要有形民族文化財、国宝重要文化財などがあり、山田グスクは、史跡名勝天然記念物の中の「史跡」にあたるのだそうです。
そして、恩納村山田周辺の地域の成り立ち、山田グスクが存在した年代、

地質、

発掘調査での出土品の数々が紹介されました。

石積みは野面積みと布積みの両方が確認されており、築城の時期がちょうど過渡期あたるのではないか、とのことです。ちなみに、グスクの石積みは、座喜味グスク築城の際に抜きとられたとのことで、あまり確認できないそうです。

その出土品の中で、実際に触れさせていただけるものがありました。触れる際は、手に付けている指輪、時計、数珠などは取り外すよう注意がありました。もしかしたら、護佐丸公が実際に手にしたものかも知れない。そう思うと、感慨もひとしおです。


そして、私たちが一番知りたいカーのお話です。グスク周辺には3カ所のカーがあるが、グスクの内部にカーは確認されていないとのお話がありました。
グスク内部にカーがないということは、長期の戦などに備える必要がない平和な時代だったのか?とも考えられますが、実際の発掘調査では
座喜味グスクの数十倍の武器類が出土しており、その理由の解明にはまだまだ研究の余地があるようです。

質疑が長引き、予定よりも30分ほど遅れてグスク周辺の散策に移ります。




まずは、急な数十段の階段を下りたところにある山田谷川(ヤーガー)の石矼。

この山手側にはグスク時代から近年までの水浴場となっていたところがあり、「山田谷川に 思蔵つれて浴みて 恋しかたらたる 仲のあしゃぎ」という琉歌も詠まれているそうです。
この橋の周辺は、上の方にある山田グスクから見下ろせる位置にあるため、敵対する勢力などがここを通るときは命がけだったのでしょうか。

グスク周辺にある3カ所のカーのうち、クシヌカーは完全に枯れてしまっています。

ウブガー(産井)へは足場が悪いため行けませんでした。



護佐丸父祖の墓。

急な階段を上ったところにあり、ここから読谷方面が一望できます。



そして最後に訪れたのがメーガー。今も、冷たい水が湧いています。
山田グスクの下、こんもりした林の奥に、りっぱな石積みとともにメーガーはあります。

ちなみに、カーの手前に見える2つの丸いものは「夫婦ガー」ではないかと思っていましたが、どなたかが勝手に作ったもので、カーの跡でもなく、文化財とはまったく関係のないものだそうです。


このカーの最大の特徴と言っていいものに、碇石の存在があります。この碇石は、琉球王国の大交易時代を物語る学術的にも非常に重要なものだそうです。上の赤で囲った部分のくぼみが、碇石の証拠だそうです。


こうして、2時間の計画であった勉強会は、30~40分ほど時間を超過してしまいましたが、無事に終えることができました。質問もとても多く、有意義な勉強になったようです。
今回の勉強会の講師を務めていただいた崎原さんに心から感謝申し上げます。
私が選んだのは、私が大好きな恩納村山田にあるメーガー(メーヌカーともいうそうです。)と、かの護佐丸公が座喜味グスクへ居を移す以前の居城であった山田グスクです。山田グスクは、2008年(平成20年)4月、国指定文化財の指定を受けました。


講師は、恩納村教育委員会文化財担当の崎原恒寿さんです。

講座は午前10時から、最初の約1時間は座学です。
座学では、まず「文化財とは?」という定義から始まります。
文化財と言っても、その分類は様々であって、重要無形民族文化財、重要有形民族文化財、国宝重要文化財などがあり、山田グスクは、史跡名勝天然記念物の中の「史跡」にあたるのだそうです。
そして、恩納村山田周辺の地域の成り立ち、山田グスクが存在した年代、

地質、

発掘調査での出土品の数々が紹介されました。

石積みは野面積みと布積みの両方が確認されており、築城の時期がちょうど過渡期あたるのではないか、とのことです。ちなみに、グスクの石積みは、座喜味グスク築城の際に抜きとられたとのことで、あまり確認できないそうです。

その出土品の中で、実際に触れさせていただけるものがありました。触れる際は、手に付けている指輪、時計、数珠などは取り外すよう注意がありました。もしかしたら、護佐丸公が実際に手にしたものかも知れない。そう思うと、感慨もひとしおです。


そして、私たちが一番知りたいカーのお話です。グスク周辺には3カ所のカーがあるが、グスクの内部にカーは確認されていないとのお話がありました。
グスク内部にカーがないということは、長期の戦などに備える必要がない平和な時代だったのか?とも考えられますが、実際の発掘調査では
座喜味グスクの数十倍の武器類が出土しており、その理由の解明にはまだまだ研究の余地があるようです。

質疑が長引き、予定よりも30分ほど遅れてグスク周辺の散策に移ります。



まずは、急な数十段の階段を下りたところにある山田谷川(ヤーガー)の石矼。

この山手側にはグスク時代から近年までの水浴場となっていたところがあり、「山田谷川に 思蔵つれて浴みて 恋しかたらたる 仲のあしゃぎ」という琉歌も詠まれているそうです。
この橋の周辺は、上の方にある山田グスクから見下ろせる位置にあるため、敵対する勢力などがここを通るときは命がけだったのでしょうか。

グスク周辺にある3カ所のカーのうち、クシヌカーは完全に枯れてしまっています。

ウブガー(産井)へは足場が悪いため行けませんでした。



護佐丸父祖の墓。

急な階段を上ったところにあり、ここから読谷方面が一望できます。



そして最後に訪れたのがメーガー。今も、冷たい水が湧いています。
山田グスクの下、こんもりした林の奥に、りっぱな石積みとともにメーガーはあります。
ちなみに、カーの手前に見える2つの丸いものは「夫婦ガー」ではないかと思っていましたが、どなたかが勝手に作ったもので、カーの跡でもなく、文化財とはまったく関係のないものだそうです。


このカーの最大の特徴と言っていいものに、碇石の存在があります。この碇石は、琉球王国の大交易時代を物語る学術的にも非常に重要なものだそうです。上の赤で囲った部分のくぼみが、碇石の証拠だそうです。


こうして、2時間の計画であった勉強会は、30~40分ほど時間を超過してしまいましたが、無事に終えることができました。質問もとても多く、有意義な勉強になったようです。
今回の勉強会の講師を務めていただいた崎原さんに心から感謝申し上げます。