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首里城お水取り行事

2016年12月31日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 15:31 │Comments( 0 ) 湧き水に関する行事
毎年12月下旬になると「首里城お水取り行事」が行われます。
お水取り行事とは、琉球王朝の尚真王(在位1477~1526年)の時代から1879年まで、国王が元旦の朝に御水撫(ウビーナディ)をするためのお水を汲み首里城へ献上するための儀式で、1998年に有志により復活したものです。
文献によると、王府は琉球開闢の聖地である国頭村の安須森(アスムイ)のおひざ元、辺戸大川(ヘドウッカー)へ旧暦の12月20日に使者を送り、「美御水(ヌービー)」を取り寄せていたとのこと。そして、元日の未明に汲んだ吉方の若水とともに国王へ献上されたのだそうです。吉方の若水とは、首里城から見て毎年吉の方角にある井戸からお水を汲んでいたそうですが、現在水を汲めるのは浦添市の澤岻樋川のみとなっています。
今年の行事は、辺戸大川でのお水取りが12月18日、澤岻樋川でのお水取りが12月25日に行われましたので、その模様をお伝えします。
以下、辺戸大川でのお水取りに関しては、今回、初めて辺戸のお水取り行事に参加した湧き水fun倶楽部会員の黒岩さんから寄せられたレポートです。
12月18日(日)国頭村で行われた「首里城お水取り行事」の見学会に参加して来ました。
首里城お水取り行事
首里城お水取り行事
 辺戸の公民館を会場に奉納舞踊と記念講演会が行われた後、儀式に移りました。
首里城お水取り行事
首里城お水取り行事
神女やお側付役の女性を中心にした行列が部落内にある神アサギで祈りを捧げた後、首里ヘ献上するお水を辺戸大川で取りました。
首里城お水取り行事
首里城お水取り行事
首里城お水取り行事
安須森の麓、木々が茂る森の中でお水を取る様子はとても厳かなものでした。
首里城お水取り行事
その後、御嶽と祝女殿内にお水を供え祈りを捧げた後、首里へ出発するセレモニーが行われ今回の行事が終了しました。
朝8時に首里を出発し、18時に帰ってくるという1日がかりの見学会でしたが、翌週行われる浦添市の澤岻樋川でのお水取りを思いながら意義深い見学会になりました。

そして、12月25日は、浦添市の澤岻樋川でのお水取りです。
首里城お水取り行事
お水取りのご一行が到着される前、安仁屋さん(右のひげの方)と玉城さん(左の方)から事前学習を受けます。おもろ(※)の継承者である安仁屋さんからは、お水を汲むときに歌うおもろについて、詩の意味などについての説明がありました。(※おもろとは歌の意で、沖縄方言の「思い」から来た語である。沖縄の古い歌謡であり、14世紀末、中国大陸から三弦の伝来する以前に行なわれた歌曲の中心をなすもの。もっぱらノロ(巫女)や神職によって歌われたものが一般的に知られたが、王家の儀礼楽として節句などの儀式の時に首里城で歌われたものは「王府のおもろ」と呼ばれて神聖視され、秘密裏に伝承された。「wikipedia」より)
首里城お水取り行事
首里城お水取り行事
首里城お水取り行事
そしていよいよご一行が到着され、お水取りが始まります。
首里城お水取り行事
首里城お水取り行事
首里城お水取り行事
お水を七回汲んだあとは、安仁屋さんがおもろを歌います。
首里城お水取り行事
年末も押し迫ったクリスマスの日とは思えないほどの穏やかな天気の中、お水を無事に汲み終えたご一行は、このあと首里城へと向かわれました。

お水取りとは、健康長寿、琉球国繁栄、民の寧を祈願した国家行事だったそうです。お水取りの冒頭、安仁屋さんから「来年の干支は酉年です。琉球にとって酉年は、薩摩の侵攻(1609年)や、沖縄戦(1945年)など良くないことが起きる年で、3度めはごめんだとみんなで跳ね返していい年になるよう祈願しましょう」とお話がありました。
2016年も残すところあと8時間ほどとなりました。湧き水fun倶楽部の皆様、そして倶楽部の活動に関わってくださった皆様、この一年本当にお世話になり、ありがとうございました。2017年も引き続きお付き合いいただければ幸いです。
2017年が皆様にとってよい一年となりますように祈念します。



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