10月5日は、9月定例会が開催されました。この定例会は当初、9月21日に予定されていたものですが、台風により延期されました。今月の定例会は「浦添市民の学び応援講座」の第2回目として、おもろ研究の第一人者で継承者でもある安仁屋眞昭先生(以下、「先生」と記します)をお招きし、「水とおもろのお話」と題した講演をしていただきました。

講演ではまず、「おもろさうし」とは、琉球王府で編纂された古歌謡集であり、「おもろ」とは「ウムイ(=思い)」の意味で、「さうし」とは「冊子」のことであるということを学びます。

その内容は、各地で執り行われていた祭事について、城主が不在のときにそれがおろそかにならないよう、地方の祭事への「ウムイ」を編纂したものだそうで、天体賛歌や英雄賛歌、航海安全の祈り等を含む叙事詩です。おもろさうしは全部で22巻あり、第二尚氏時代の第三代尚真王の頃に編纂が始まり、尚真王の死後1531年に第一巻が発行されました。

第二巻は1609年に薩摩に攻められた4年後の1613年に発行され、琉球王国がとても大変だったであろう時期に文化事業の編纂が続けられていたことに「おもろ」への「ウムイ」の深さが感じられる、とのことでした。

先生のご先祖は、「おもろ」の神歌主取(王府に置かれた役職で、「おもろさうし」の管理と儀式・祭礼の際「おもろ」を謡う任務があったそうです。)を代々世襲で引き継いできており、主取は先生の曾祖父の時代まで続いたそうです。
そして、「王府おもろ」として伝承されている5曲の「おもろ」は、先生の曾祖父が琉球古典音楽・芸能の第一人者、山内盛彬(やまうちせいひん)氏に伝承し、その山内氏から先生へ再び伝承されたのだそうです。


実際に「おもろ」を謡っていただく前に、先生の似顔絵が「桜坂劇場」パンフレット表紙を飾ったものを手に笑みを浮かべていらっしゃいました。

そして、「おもろ」に敬意を表し、琉球王国時代の「八巻(はちまち)」と呼ばれる冠を被りおもろを謡う先生。八巻は、色によって階級が分かれており、黄色は高級官僚の位だそうです。

これが、「おもろ」の歌詞と音符です。

この歌詞の大文字で記された部分(赤丸をつけているところ)のみが意味がある部分で、その他の「wo」「 u」 「n」などは意味がないそうで、まるで暗号のようです。
「おもろ」には、水に関するものもいくつかあり、お正月に琉球国王へ若水を献上する際の辺戸大川でのお水取りで謡われるもの、二水献じの恵方のお水取りで謡われるものなど5つをご紹介いただきました。

辺戸大川のお水取りでは「安須杜から湧き出る 世を豊かにする力のある水を国王様に奉れ」という意味の歌が、

そして、二水献じ恵方のお水取りでは「清水の湧き出る井泉を造って命の再生の浄めの水を尚真王様に奉れ」という意味の歌が謡われます。
「安須杜(あすむい)」とはアマミキヨによって創られた琉球最初の御嶽です。その麓から湧き出る辺戸大川の水は琉球の根元の若水で、この水と、首里城から見て恵方の水を若水として国王に献上するのが「二水献じ」です。恵方の水は干支によって汲む場所が決まっていますが、現在では亥の方角である浦添市澤岻の澤岻樋川でしか汲むことができないため、毎年澤岻樋川でお水取り行事が行われています。
500年ほど前の琉球王国いにしえの時代から、神聖なものとして大切に扱われてきた水。その水への「おもろ(ウムイ)」を大切に引き継いでいきたいものです。



講演の終了後、ごや副代表からお礼の言葉、金城顧問から閉会の言葉があり、ぐし代表からお礼の品をお渡しし本日のプログラムが終了しました。


最後に、この日の出席者全員で先生を囲んで記念撮影をしました。
先生は反戦平和への強いウムイをお持ちで、講演会の冒頭、米軍基地から派生したと思われる湧水の汚染について熱く語っておられました。
なおこの日、見学として参加してくださっていたKさんから正式に加入の申し出がありました。今後ともよろしくお願いいたします。

講演ではまず、「おもろさうし」とは、琉球王府で編纂された古歌謡集であり、「おもろ」とは「ウムイ(=思い)」の意味で、「さうし」とは「冊子」のことであるということを学びます。

その内容は、各地で執り行われていた祭事について、城主が不在のときにそれがおろそかにならないよう、地方の祭事への「ウムイ」を編纂したものだそうで、天体賛歌や英雄賛歌、航海安全の祈り等を含む叙事詩です。おもろさうしは全部で22巻あり、第二尚氏時代の第三代尚真王の頃に編纂が始まり、尚真王の死後1531年に第一巻が発行されました。

第二巻は1609年に薩摩に攻められた4年後の1613年に発行され、琉球王国がとても大変だったであろう時期に文化事業の編纂が続けられていたことに「おもろ」への「ウムイ」の深さが感じられる、とのことでした。

先生のご先祖は、「おもろ」の神歌主取(王府に置かれた役職で、「おもろさうし」の管理と儀式・祭礼の際「おもろ」を謡う任務があったそうです。)を代々世襲で引き継いできており、主取は先生の曾祖父の時代まで続いたそうです。
そして、「王府おもろ」として伝承されている5曲の「おもろ」は、先生の曾祖父が琉球古典音楽・芸能の第一人者、山内盛彬(やまうちせいひん)氏に伝承し、その山内氏から先生へ再び伝承されたのだそうです。


実際に「おもろ」を謡っていただく前に、先生の似顔絵が「桜坂劇場」パンフレット表紙を飾ったものを手に笑みを浮かべていらっしゃいました。

そして、「おもろ」に敬意を表し、琉球王国時代の「八巻(はちまち)」と呼ばれる冠を被りおもろを謡う先生。八巻は、色によって階級が分かれており、黄色は高級官僚の位だそうです。

これが、「おもろ」の歌詞と音符です。

この歌詞の大文字で記された部分(赤丸をつけているところ)のみが意味がある部分で、その他の「wo」「 u」 「n」などは意味がないそうで、まるで暗号のようです。
「おもろ」には、水に関するものもいくつかあり、お正月に琉球国王へ若水を献上する際の辺戸大川でのお水取りで謡われるもの、二水献じの恵方のお水取りで謡われるものなど5つをご紹介いただきました。

辺戸大川のお水取りでは「安須杜から湧き出る 世を豊かにする力のある水を国王様に奉れ」という意味の歌が、

そして、二水献じ恵方のお水取りでは「清水の湧き出る井泉を造って命の再生の浄めの水を尚真王様に奉れ」という意味の歌が謡われます。
「安須杜(あすむい)」とはアマミキヨによって創られた琉球最初の御嶽です。その麓から湧き出る辺戸大川の水は琉球の根元の若水で、この水と、首里城から見て恵方の水を若水として国王に献上するのが「二水献じ」です。恵方の水は干支によって汲む場所が決まっていますが、現在では亥の方角である浦添市澤岻の澤岻樋川でしか汲むことができないため、毎年澤岻樋川でお水取り行事が行われています。
500年ほど前の琉球王国いにしえの時代から、神聖なものとして大切に扱われてきた水。その水への「おもろ(ウムイ)」を大切に引き継いでいきたいものです。



講演の終了後、ごや副代表からお礼の言葉、金城顧問から閉会の言葉があり、ぐし代表からお礼の品をお渡しし本日のプログラムが終了しました。


最後に、この日の出席者全員で先生を囲んで記念撮影をしました。
先生は反戦平和への強いウムイをお持ちで、講演会の冒頭、米軍基地から派生したと思われる湧水の汚染について熱く語っておられました。
なおこの日、見学として参加してくださっていたKさんから正式に加入の申し出がありました。今後ともよろしくお願いいたします。