12月18日は12月の定例会が行われました。
この日は、今年3月に実施した「グスクとカー~座喜味編」の続編として座喜味集落の散策を行います。また同時に、「浦添市民の学び応援講座」の第3回目でもあります。
前回は、座喜味グスクと、城主専用だったと言われる「ウェーガー」を訪れましたが、今回は城下町のカーを巡ります。
今回も講師をお願いするのは琉球大学風樹館学芸員で座喜味生まれ座喜味育ちの島袋さん。
今回も立派な手作りの地図をご用意いただきました。
まず最初に訪れたのは、「モーガー」です。正月の若水を汲んだり、ムラの行事に使う器を洗ったりしたそうで、藻が多いことからモーガーと呼ばれるようになったのだとか。ここは、私(渡邉)が2013年9月に訪れたことがあるのでそのときの写真を見てみました。(ちなみに、このときの記事が2013年9月に掲載してありますので、ご興味のある方はどうぞ。)
今にも屋根が落ちそうなくらいになっていました。その後、修復されたようです。
次に訪れたのは、「ミーガー」。明治37年に近所に住む方が見つけ、のちにムラガーとなったそうで、座喜味では新しいカーなのでこの名前が付いたのだそうです。モーガーの水は澱んで見えましたが、こちらの水は澄んで見えました。
次は「ティランカー」。ちょっとこんもりした林の中に入って行きます。
カーの柱部分には「1963年竣工」の文字が見えます。
ここの近くに「ボージ(坊主)ガー」があることから、寺(ティラ)が近くにあったことも考えられはするものの、はっきりとした名前の由来はわからないのだそうです。
こちらも水はとてもきれいに見えました。すぐそばには小川が流れており、カーの水よりも川の水の方が冷たく感じされました。
このティランカーの奥にもうひとつカーがあるようです。
行ってみると「タメトモガー」でした。残念ながらほぼ涸れてしまっているようです。
ここの名前の由来についてぐし代表が以前聞いたところでは、源為朝とは無関係で、昔の武士のような風貌の方が所有者だったことからそう呼ばれたのだそうです。
「ウェンダカリガー」は、近所の人たちが主に使うカーで、若水汲みにも利用されたそうです。
少し雨がポツポツと降ってきたため、休憩も兼ねて目の前の「水円」さんに入ります。
ここで、座喜味に伝わる民話を島袋さんが紹介して下さいました。「カサンジャーガマの米戦法」というお話で、戦争のあった頃(先の大戦ではなく、もっと昔の話)、カサンジャーガマという洞窟に隠れていた住民が、敵が近づいて来たからと米を流したら、敵は米を水と勘違いして「こんなにも大量の水が流れているのだからこの先に人は住んでいない」と引き上げて行ったという内容です。これは、間抜けな話と言えばそれまでですが、その当時はそれほどたくさんの米があったのか、川の上流や周辺に集落は形成されていなかったのか、などという考察も踏まえて捉えればまた面白いかも知れません。
実際に収録されている音声はこちらで聴くことができますので、興味のある方はどうぞ。
https://yomitan-sonsi.jp/story/192/
この日最後に訪れたのは、「ジョーガー」「ミージョーガー」です。
左が「ミージョーガー」で、右が「ジョーガー」です。昭和初期の旱魃により新しく「ミージョーガー」が作られたそうですが、水の味が違うため、美味しい水の「ジョーガー」はお茶に、味の劣る「ミージョーガー」は炊事洗濯に使われたそうです。姑から水汲みを頼まれたお嫁さんが面倒だからと違うところで水を汲んで行ったところ、味が違うのでバレてしまった、という逸話が残っているそうです。隣り合っていても味が違うのあれば、別々の水脈なのかも知れません。
こうして約2時間に及んだ座喜味まーいは幕を閉じました。
グスクと集落との関わりを示す資料に乏しいため当時の人々の生活がどのようなものであったか不明な点が多いという座喜味で、庶民の暮らしぶりを少しでも垣間見ることができたことは大変興味深いことでした。こうした小さな観察を積み重ねていけば何か新しい発見があるかも知れません。
年末が近づき何かと忙しいこの時期に、3月に続いて今回も講師を務めていただいた島袋さんには心より感謝いたします。
この日の活動をもって、今年の活動は終了となりました。皆さま、よいお年をお迎えください。
この日は、今年3月に実施した「グスクとカー~座喜味編」の続編として座喜味集落の散策を行います。また同時に、「浦添市民の学び応援講座」の第3回目でもあります。
前回は、座喜味グスクと、城主専用だったと言われる「ウェーガー」を訪れましたが、今回は城下町のカーを巡ります。
今回も講師をお願いするのは琉球大学風樹館学芸員で座喜味生まれ座喜味育ちの島袋さん。
今回も立派な手作りの地図をご用意いただきました。
まず最初に訪れたのは、「モーガー」です。正月の若水を汲んだり、ムラの行事に使う器を洗ったりしたそうで、藻が多いことからモーガーと呼ばれるようになったのだとか。ここは、私(渡邉)が2013年9月に訪れたことがあるのでそのときの写真を見てみました。(ちなみに、このときの記事が2013年9月に掲載してありますので、ご興味のある方はどうぞ。)
今にも屋根が落ちそうなくらいになっていました。その後、修復されたようです。
次に訪れたのは、「ミーガー」。明治37年に近所に住む方が見つけ、のちにムラガーとなったそうで、座喜味では新しいカーなのでこの名前が付いたのだそうです。モーガーの水は澱んで見えましたが、こちらの水は澄んで見えました。
次は「ティランカー」。ちょっとこんもりした林の中に入って行きます。
カーの柱部分には「1963年竣工」の文字が見えます。
ここの近くに「ボージ(坊主)ガー」があることから、寺(ティラ)が近くにあったことも考えられはするものの、はっきりとした名前の由来はわからないのだそうです。
こちらも水はとてもきれいに見えました。すぐそばには小川が流れており、カーの水よりも川の水の方が冷たく感じされました。
このティランカーの奥にもうひとつカーがあるようです。
行ってみると「タメトモガー」でした。残念ながらほぼ涸れてしまっているようです。
ここの名前の由来についてぐし代表が以前聞いたところでは、源為朝とは無関係で、昔の武士のような風貌の方が所有者だったことからそう呼ばれたのだそうです。
「ウェンダカリガー」は、近所の人たちが主に使うカーで、若水汲みにも利用されたそうです。
少し雨がポツポツと降ってきたため、休憩も兼ねて目の前の「水円」さんに入ります。
ここで、座喜味に伝わる民話を島袋さんが紹介して下さいました。「カサンジャーガマの米戦法」というお話で、戦争のあった頃(先の大戦ではなく、もっと昔の話)、カサンジャーガマという洞窟に隠れていた住民が、敵が近づいて来たからと米を流したら、敵は米を水と勘違いして「こんなにも大量の水が流れているのだからこの先に人は住んでいない」と引き上げて行ったという内容です。これは、間抜けな話と言えばそれまでですが、その当時はそれほどたくさんの米があったのか、川の上流や周辺に集落は形成されていなかったのか、などという考察も踏まえて捉えればまた面白いかも知れません。
実際に収録されている音声はこちらで聴くことができますので、興味のある方はどうぞ。
https://yomitan-sonsi.jp/story/192/
この日最後に訪れたのは、「ジョーガー」「ミージョーガー」です。
左が「ミージョーガー」で、右が「ジョーガー」です。昭和初期の旱魃により新しく「ミージョーガー」が作られたそうですが、水の味が違うため、美味しい水の「ジョーガー」はお茶に、味の劣る「ミージョーガー」は炊事洗濯に使われたそうです。姑から水汲みを頼まれたお嫁さんが面倒だからと違うところで水を汲んで行ったところ、味が違うのでバレてしまった、という逸話が残っているそうです。隣り合っていても味が違うのあれば、別々の水脈なのかも知れません。
こうして約2時間に及んだ座喜味まーいは幕を閉じました。
グスクと集落との関わりを示す資料に乏しいため当時の人々の生活がどのようなものであったか不明な点が多いという座喜味で、庶民の暮らしぶりを少しでも垣間見ることができたことは大変興味深いことでした。こうした小さな観察を積み重ねていけば何か新しい発見があるかも知れません。
年末が近づき何かと忙しいこの時期に、3月に続いて今回も講師を務めていただいた島袋さんには心より感謝いたします。
この日の活動をもって、今年の活動は終了となりました。皆さま、よいお年をお迎えください。