古都首里の湧水をめぐる

湧き水fun倶楽部

2014年02月01日 22:41

今日は、古都首里の湧き水めぐりをしてみました。先日は首里城から南西のカーを中心にご紹介しましたが、今回は北側のカーを中心にご紹介します。




龍潭池から旧県立博物館の跡地脇を通り、玉那覇味噌醤油のすぐ下方にある、安谷川(アダニガー)。
15世紀中頃の古謡にも歌われているそうで、かなり古い時代からあったことがわかります。
日常生活にかかわりを持った共同井戸です。このカーは、あいかた積みで、水汲み広場は石敷です。




次は、宝口樋川(タカラグチフィージャー)。儀保の十字路から那覇市立病院の方へ坂を下って最初の角を左折し、すぐ目の前にある川に沿って右折します。儀保十字路からの道には曲がり角には案内表示があるのですが、カーの入り口に案内はなく、少し不親切な感じがしました。
この樋川は当蔵村の平民が1807年に開いたそうで、実に200年もの昔のことになります。ここも、あいかた積みで樋川の前は石畳となっています。那覇市内でも指折りの湧水量を誇っています。

今も湧き口の上にお線香が置かれ、拝みに利用されていることがわかります。



宝口樋川から桃原の交差点向けに坂を少し上がると、古くて小さな道があり、これを行くとあるのが加良川(カラガー)。「球陽」に「加良川橋を作った」とあらわれるのが1759年、カーとして史料に現れるのが1807年の宝樋碑文の中だそうで、上の宝口樋川と同じ200年もの年月を経ていることになります。この敷地に、沖縄の組踊を初めて創作した玉城朝薫(たまぐすくちょうくん:1684~1734)生誕地の碑があります。



桃原の交差点から龍潭向けに進み、尚家の入口を過ぎて最初の角を右折して尚家の敷地に入るとすぐ左側下にあるのが指司笠樋川(サシカサヒージャー)です。尚家の敷地なので敷地入口には扉がありますが、カギはかかっておらず、参拝等の出入りは自由となっています。このカーは尚真王の長女、指司笠按司加那志(サシカサアジガナシー)が、福木の大木にいつも鷺が止まるのを見て掘り当てたとの由来があります。大規模な石積みが美しいカーです。


指司笠樋川から龍潭池の方に向かい、龍潭池のすぐ手前にあるのが大和井戸(ヤマトガー)です。町端村(マチバタ:現在の首里池端町)唯一の共同井戸で、大和の人間が中心になって掘削したことで大和ガーの名で呼ばれているとのことです。

指司笠樋川のすぐそばの道端にもこんな井戸がありました。

時間にしてわずか40分あまり。こんなにたくさんのカーに出会い、古都を満喫することができました。

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