なはまち歩き

湧き水fun倶楽部

2017年11月12日 17:02

だいぶ遅くなってしまいましたが、9月に行われましたまち歩きの報告を会員の野原さんからいただきました。
以下、野原さんからの報告です(^^♪

<平成29年9月18日(月曜日※祝日(敬老の日))16:00~>
リブロ・リウボウ店さんの県産本イベント、「まち歩き(泉崎~開南あたり)」に参加してきました。

パレットくもじのリブロさんに集合。案内して下さるのは、9月の定例会で講演していただいた新城さんです。

まち歩きスタート!県警方面へ。坂道がある県庁あたりは本来の地形の名残が残ってて、坂道側は陸、パレット辺りは元々は海だったとのこと。

まずは 琉球政府の立法院跡のモニュメント。「歴史の穴場」by新城さん

県庁と県警本部の間にある湧田古窯跡の説明板(字や図は、ほぼ消えてます…)

二中前通り。旧町名は電柱に存在!皆さん注目。

見上げれば、歴史を語る生き証人。ここは、昔は上泉(町)

二中前通りから樋川向けに。昔は商店街だった面影探して・・・

伊波普猷の別荘があった所。曝書山房跡(面影はほぼないです…)

これが那覇のスージ小!人ひとりやっと通れる幅の所も!

王の殿(オウノトゥン)。16世紀頃に今の楚辺・樋川一帯を領地にしていた王農大親(オウヌウフヤ)の屋敷跡。今は拝所。(楚辺1丁目、城岳公園の南側)

王の殿近くの王川(オーガー)。手押しポンプで汲み上げると、ちゃんと水が出ます。(水はぬるかったです…)

古波蔵馬場跡の碑。今の城岳小学校前の道路は琉球競馬の馬場だったとのこと。速さではなく乗馬の優雅さ、美しさを競ったそうです。(なんか平和だな…)

楚辺尋常小学校(楚辺国民学校)跡の碑。現在の城岳小学校。今昔変わらず学びの場です。

裁判所通り。歴史を語る生き証人に、皆さんそろって注目。


電柱は歴史を語る。「刑務所通り」の表記がちゃんと残ってます。今の裁判所や合同庁舎の場所は、1979年まで「沖縄刑務所」でした。今でも「刑務所の~」と場所を説明するお年寄りの方は多いです。

汪樋川(オウヒージャー)。豊富な水量は昔のこと。今はほとんど枯れてますが、かつては、中国の冊封使が「首里城の龍樋の次に美味しい」と讃えたほどの名水だったそうです。(樋川1丁目。那覇高校交差点近く)

井戸が残ってる住宅がありました。樋川は水が豊富な土地だったんですねぇ

今回のゴール地点の城岳公園。新城さんの青春話も聞けました。(笑)

城岳公園から県庁など泉崎方面を眺める。変わってないところもいっぱいあります。

ちなみに… 新城さんが着ていたデザインマンホールコレクションポロシャツ!県の下水道事業開始50週年記念として下水道課が作成したとのこと。渋い…!(下水道課で購入できるとのこと)

関連記事