てぃーだブログ › 湧き水fun倶楽部 活動記録

沢岻樋川のお水取り

2023年12月25日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 20:37 Comments( 0 ) 湧き水に関する行事
12月24日は、澤岻樋川で年末恒例の「お水取り」が行われました。
この日の行事は、特段案内があったわけでもないのですが、例年この時期の日曜日で14時から開催だったことから誰に確認するわけでもなく現地へ向かいました。

13時45分ころに現地に到着すると、道ばたにのぼり旗が掲げられていて、

ちょうどお祈りを捧げるところでした。お水はすでに汲み終わっていたのですが、なんとか間に合いました。

澤岻樋川には十数名の方々と、そして、澤岻のお水取りに長年中心となって取り組んで来られた玉城さんも元気なお姿を見せてくださり、安心しました。

平成30年を最後に大規模なお水取り行事は執り行われなくなってしまったことは寂しい限りですが、澤岻樋川には今も豊富な水量が湧き出していること、今年もこうして無事にお水取りが執り行うことができたことに感謝したいと思います。


『命ぬ水』上映会

2023年12月03日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 20:19 Comments( 2 ) 講演会
12月2日は、宜野湾マリン支援センターにおいて、「映し出された沖縄の50年 PFAS『命ぬ水』上映会」(主催:コープおきなわ 宜野湾・中城ブロック)が開催されました。

この上映会は、復帰50年特別番組として先に琉球朝日放送(QAB)で放送された「命ぬ水」の上映に加え、島袋夏子さん(番組ディレクター)と湧き水fun倶楽部の勉強会で講師も務めて下さった伊波義安さん(PFAS汚染から市民の命を守る連絡会)のお二人が登壇されるということで、湧き水fun倶楽部の4名も参加しました。

 番組の上映が終わり、お二人が登壇されました。
 島袋ディレクターからは、PFASの問題は2016年の沖縄県企業局の記者会見に端を発しているが、沖縄には化学に精通した記者が少なかったこともあり大きな問題として取り上げることができなかったこと、それが、2019年にNHKのクローズアップ現代で取り上げられたことがきっかけとなり機運が高まっていったこと、などのお話がありました。    
また伊波さんからは、PFASの現状説明とともに、一番大事なことはたくさんの人に知ってもらうこと、知ったら行動すること、知らないこと・知らされないことは怖いことであること、PFAS汚染は地球規模の汚染であること、この問題は私たちの世代で終わりではなく、次世代へ引き継いでいくことが大事であること、などのお話がありました。
そして、この上映会には、番組にも出演されている湧き水fun倶楽部の金城義信顧問のお姿もありました。沖縄が日本に復帰する前から50年もの長きに渡って水道事業に携わって来られた金城さん。

水の供給だけでなく全てにおいて米軍の事情が最優先され、沖縄の人たちの人権が置き去りにされてきた事に関して、金城さんの番組内での「米軍基地撤去」まで踏み込んだ発言は非常に重みのあるものでした。(写真は同番組の放送から)

質疑の時間には、金城さんが番組取材時の写真や新聞切り抜きなどを手に、島袋ディレクターと伊波さんがこの問題に情熱的に取り組んでいらっしゃることへの感謝とお礼のお言葉がありました。

上映会を終えて記念撮影をする金城さん、島袋ディレクター、伊波義安さん(写真左から)。

そして、湧き水fun倶楽部の面々も伊波さんとご一緒に。
この番組を見る度に新しい気づきがある、と伊波さんがおっしゃっていましたが、まさにそのとおりで、前に見たときには気づかなかったことに気づきます。そうしたことに加え、番組に携わって来られたお三方の生の声を聴くことができたことはとても有意義でした。

当時の放送はこちらからご覧になれます。



11月定例会 『北谷町の湧き水散策』

2023年11月29日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 19:39 Comments( 0 ) 湧き水ツアー 定例会 湧き水散歩
11月18日は、11月の定例会「北谷町の湧き水散策」をテーマに行いました。担当は宮城でした。
サンセットビーチ傍にある温泉や西海岸の観光エリアにはよく行くのですが、北谷町の湧き水についてはわからなかったため調べてみたいなという理由からでした。参加者は7名でした。

北谷公園に集合、そこから宇地原公園に向かいました。

宇地原公園南側にせせらぎ広場があり、ここにホースガー(ウージガー)があります。
戦後、全域が米軍の占領地となった北谷村のなかで、謝苅はいち早く居住許可地区になったため多くの人々がこの湧き水を利用されたそうです。水が豊富で、主に飲料水・生活用水の他に洗濯場としても利用されていたようです。

現在は公園の一部として保存されています。

説明版や案内板などはなく、ここがホースガーとわかるのはバス停の名称でした。
湧き水fun俱楽部のごやさんは、30年前にラジオの取材で訪ねていたようで、今は整備されて昔とはすっかり周囲の環境が変わっていることに驚いていました。
昔、インタビュー取材した際の思い出を皆に話してくれました。「家の目の前、2・3歩のところにホースガーがあって、おばあさんが食器を洗ったりしていたよ。ホースを入れていたからホースガーと呼ばれてた。夏はひじるで冬はぬるくて上等と話していたのが印象的でね、懐かしいです。」
当時の音源が残っているそうなので、また定例会の中で聴きたいね!という意見がありました。
次は謝苅公園から県道24号線沿いを歩きトーバルガーに向かいました。


途中、細道があってその手前に井戸があり「泉川」と書かれた石碑がありました。事前の下見で謝苅公民館にお話を伺いに行った際、こちらの井戸についても教えてもらいました。

昔、共同で使用していた井戸で現在は使われていないということでした。

さらに細道を進むと用水路のトンネルがありました。ちょうど道路の真下になるのか、トンネルを抜けると雰囲気が一変、小さな水路をたどっていくとトーバルガーがあります。



昔は水が豊富に流れ出しその水を田んぼへ利用されていたそうです。水道が普及するまでは生活用水として使用し、若水や産水が汲まれていたいたそう。拝みの時期以外だと草木除去が行われていないことがあるということでした。

近くまで降りる階段が見当たらず水辺にはいけませんでしたが澄んでいる水のように見えました。
謝苅地区は北谷町の中でも昔の雰囲気が残っている場所のようです。謝苅公園からは北谷町内を見渡せ海も眺めることができました。


次は砂辺区にあるヌールガーに向かいました。

沖縄の湧き水カルタ「の」に掲載されている場所です。
カルタの解説に「戦前、ウマチー祈願のため『砂辺之殿』へ赴く平安山ノロは先ずこのカーで手足を洗い行事に臨んだという」とあります。カルタを担当した会員さんに作成時の話など聞いてみたかったのですが参加されていなかったのであらためて教えてもらおうと思いました。

ここから数分歩いたところにインガーがありました。

旱魃の際に犬が発見したと伝えられているようです。門が閉まっていたため外から見学しました。

この後は、北谷公園に戻りテルメヴィラちゅら―ゆの足湯でゆんたくしながら休憩しました。

こちらの温泉は化粧水のようにトロトロした肌触りで美肌の湯と言われています。この日は肌寒く風も強かったので温泉でぽかぽか温まって気持ち良かったです。
北谷町には国指定史跡伊礼原遺跡があり現在も枯れることなく水が湧き出る「ウーチヌカー」という場所があります。

(写真は、NHKおきなわeye(2014年10月8日放送)から)
今回は博物館建設工事・伊礼原遺跡整備工事のため見学することはできませんでしたが、2年前にごやさんが出演された「うちなー紀聞」という番組の中で沖縄最古の湧き水だろうと紹介されていました。北谷町の文化発信拠点が新しくできるということなので完成後にまた湧き水fun俱楽部の皆で訪ね学びを深めたいと思います。北谷町の湧き水散策をするにあたっては北谷町役場文化課の方に相談させていただきました。お忙しい中、資料などアドバイスいただきお世話になりました。ありがとうございました。



10月定例会~浦添市のトンボについて~

2023年10月21日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 21:59 Comments( 0 ) 勉強会 定例会
10月21日は、湧き水fun倶楽部10月定例会が行われ、6名の方の参加がありました。

今月は「浦添市のトンボについて」というテーマで、日本トンボ学会・沖縄昆虫同好会会員である焼田理一郎さんを講師にお招きし、浦添市立図書館脇から安波茶樋川までの約400mの水路を散策しました。なお、この散策会は、浦添市の「自主企画まなび助成制度」を活用して開催されたものです。

(画像はgoogle mapより)
 日本全国で見られるトンボはおよそ200種類でそのうち沖縄ではおよそ90種類のトンボが見られるそうで、その中には特定の島でしか見られない種類もいるのだそうです。
散策開始後、水路をのぞき込むと、


ベニトンボ、オオシオカラトンボ、タイリクショウジョウトンボなど、多くのトンボが見られ、「同じところに長く止まっているのはオスで縄張りを主張している」「水面を跳ねるように飛んでいるのはメスで産卵中」など、生態についてのお話がありました。

捜索でもしているかのごとく真剣に水路をのぞき込む皆さん。

水路を数十mほど奥へ行くと、先ほどまで乱舞していたトンボの姿が消えました。その理由を焼田さんに尋ねると、「日当たりが悪いからだろう」とのこと。確かに、右側は鬱蒼とした林になっています。


トンボと一口に言っても、川のように流れている水を好む種や、池のように流れていない水を好む種など生態も様々であり、おそらく幼虫(ヤゴ)の酸素要求量が違うのではないかとのことでした。
散策の途中では、近くにお住まいの方とお話をする機会があり、「この辺りは蚊も多いので蚊を捕食するトンボはそれなりにいるが数は減ってしまった」ことや「水路の水質が悪くなり、樋川の湧出量も減ってしまった」ことなどのお話を聞くことができました。

折り返し点の安波茶樋川では、アカナガイトトンボを見つけることができました。


このトンボを焼田さんが浦添で見つけたのは今回が初めてとのことでした。



そして、帰り道では、オスメスを捕獲し、胸のあたりに突起物があるのがオスであるとの説明がありました。焼田さんの巧みな網さばきに一同感心することしきり。(これらのトンボは、ちゃんと放しましたのでご安心ください。)
今回の散策で確認できたのは私のメモでは、先に述べた4種類のほかに、リュウキュウベニイトトンボ、ハラボソトンボ、ウスバキトンボ、ギンヤンマ、の計8種類でした。
出発点まで戻り、2時間弱の散策が終了しました。朝方まで雨との予報でしたが、幸い雨の影響もなく、少し涼しかったので楽に歩けたのではないかと思います。浦添市役所の近くという市内中心部にもかかわらず、これほど多くのトンボが見られたことは新鮮な感覚でとても有意義な時間でした。今回、私たちのために休日の貴重な時間を割いてくださった焼田さんに心から感謝申し上げます。ありがとうございます。

この日見られたトンボはこちら(写真は焼田さん作成の資料より)。

ウスバキトンボ

オオシオカラトンボ

ギンヤンマ

タイリクショウジョウトンボ

ハラボソトンボ

ベニトンボ

リュウキュウベニイトトンボ
+アカナガイトトンボ
焼田さんの共著の書籍はこちらです。

「沖縄のトンボ図鑑」(いかだ社から発刊)





8月定例会~アーカイブに関する講座

2023年08月20日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 21:34 Comments( 4 ) 勉強会 定例会
8月19日は、浦添市立中央公民館で「アーカイブってなに?-記録の保存とその活かし方-」と題した講座が開催されました。

講師は、総合地球環境学研究所准教授の熊澤輝一さんです。湧き水fun倶楽部では、収集した資料や、会員個々が所有する湧き水の写真・資料等の整理について頭を悩ませていたところ、研究所の仕事でアーカイブの研究に携わって来られた熊澤さんからお話をいただき、今回実現したものです。

講座では、アーカイブとは何か、という基礎から始まり、デジタルアーカイブを行うことで期待される効果、発信方法、著作権や肖像権などに留意することなどが紹介されました。

各地域で発信しているデジタルアーカイブの事例紹介では、今後私たちが資料の整理・発信を行う場合の参考になり得るものがたくさんありました。



何を何のために残すのかという取捨選択を行い、区別ができるようにまず目録作りから行う必要があるとのことでしたが、おぼろげながら私たちの将来像が見えてきた気がしました。

参加者からも熱心な質問があり、時間めいっぱい議論が展開しました。


 講座の中盤では、熊澤さんのパートナーで先月の講座の講師をつとめて下さった嶋田奈穂子さんからいただいた東ティモールの有機コーヒーを楽しみました。コーヒーの味を語れるほどの知識や味覚は持ち得ていませんが、苦みや酸味が突出することなく、すごくバランスのいい美味しいコーヒーでした。
    
 講座の終了後、ぐし代表から熊澤さんへおみやげの贈呈してお開きとなりました。
 その後、ロビーで皆さんと意見交換を行ったところ、時間と労力がかかることは認識しつつも、前向きな声が多く聞かれ、今後の作業等について検討していくこととしました。
 熊澤さんと嶋田さん、2ヶ月連続で遠路はるばる沖縄までお越しくださり、本当にありがとうございます。今後ともご縁がありましたら、引き続きお付き合いの程お願いいたします。


「おきなわ湧き水紀行inぎのざ」

2023年07月31日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 19:11 Comments( 5 ) 講演会
7月29日は、宜野座村文化センター図書館にて、令和5年度第1回図書館講座「おきなわ湧き水紀行inぎのざ」が開催され、ぐし代表が講師として参加しました。


講座の開催は午後6時からで、村内外から15名ほどの方々が参加されました。


講座は、湧き水fun倶楽部の活動内容、宜野座村にある湧き水の紹介から始まり、水道が敷かれる以前に湧き水を利用してきた歴史、伝統芸能である組踊や「おもろさうし」にも登場する文化、震災などで水道が使えなくなったときなどの防災といった側面だけでなく、近年、全国的な問題となりつつあるPFAS(有機フッ素化合物)による河川・地下水汚染の問題にも話が及び、あっという間の2時間でした。

講座の終盤には、多良川うちなー湧き水紀行のパーソナリティでもあったごや副代表から、取材時の思い出や湧き水に対する思いなどが語られ、湧き水カルタ作成時に宜野座村を担当した渡邉からは宜野座村のカーとして「大久保ガー」を選定するに至った過程などをお話させていただきました。
また、最後にフロアからは、湧き水の思い出や現在も散水などに利用していることなどのお話や、今日の講座をきいて、井戸の大切さを思い「よく近頃は鏡入れて埋めたりもするけれど、心まで埋めてはいけないね」と含蓄のある感想をいただき、参加者のみなさんも深くうなずいていらっしゃいました。


講座終了後も、地面から水が湧き出す仕組みについて小学生の男の子から質問や、環境問題に大きな関心をお持ちの方々との意見交換が行われるなど、話が尽きない様子でした。
最後に、このような機会を与えて下さいました宜野座村文化センタースタッフの皆さんと参加していただいた皆様に心から感謝申し上げます。ありがとうございます。





7月定例会

2023年07月16日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 23:30 Comments( 0 ) 定例会
7月15日(土)午後2時より、浦添市立中央公民館で7月定例会が開かれました。
久しぶりに参加する方が何人もいらっしゃり、なかには長崎県からはるばる参加された会員さんも。まさにコロナをまたいで3年ぶりの再会。仲間が集うことの喜びにあふれた有意義な時間でした。
今回、講師として参加して下さったのは、総合地球科学研究所研究員の嶋田奈穂子さん。嶋田さんもご家族一緒に京都からお越し下さいました。本当にありがたいことです。
202307定例会

 嶋田さんは、今年3月に沖縄を訪れ、私の著書である『おきなわ湧き水紀行』の中でどうしても直接ききたいことがあるということで連絡をくださり、お会いしたのがきっかけで、今回の講師として、湧き水fun倶楽部のみなさんとの情報交換会にお招きすることになりました。
 3月に訪れた際の記事はこちら→https://wakimizufun.ti-da.net/e12459679.html
 その後、嶋田さんが、書かれた文章がニュースレター(P5)に報告されています→https://mizu-kyosei.net/newsletter/

 嶋田さんは、小さな神社や聖地の形成過程やその閉じ方についての研究をされており、また、東ティモールでの支援活動もされていることから、東ティモールの水場について、聖地としての沖縄と共通する点があることに着目されているというお話でした。
 
 東ティモールの歴史と環境のお話は心に迫るものがありました。独立後、戦争に巻き込まれ、多くの大人がいなくなり、国をつくる作業が一から始まる中、海外からの多くの支援によって、有機のコーヒーの栽培や生活に必要な水の確保などが行われていることも嶋田さんの活動の中から知ることができました。
 202307定例会嶋田さん
 沖縄も戦争の傷跡から立ち上がった経緯があり、水場を聖域として大切にする文化が受け継がれていますが、東ティモールでの今の状況では、文化を継承する側の大人が戦争の犠牲になり、水場が荒れていく状態であるという報告がありました。沖縄は戦争体験も、水の不便な時代を生きた人々の体験も伝えることはできているのかもしれませんが、今後も命をつないできた大切な水場を守ることができるのか、聖地としての認識をつないでいくことができるのか、東ティモールの状況に沖縄の未来が重なり、次世代へつなげるための取り組みの必要性を感じました。

 会員との意見交換も行われ、現在の東ティモールの状況がかつての沖縄の状況と重なる部分、沖縄との共通点から見えてくる環境問題や産業、これからの展望など、時間いっぱいお互いの情報を通して交流を深めることができました。
 202307定例会質問

 あっという間の2時間でしたが、またの再会を願いみんなで記念撮影。
 202407記念撮影

今回は、長年、湧き水fun倶楽部の顧問をつとめてくださった金城義信さんに、湧き水fun倶楽部の12周年のアルバムと記念品をお渡しするセレモニーも行われました。
 202307記念品授与
金城さん、また、時々はぜひあそびにいらしてくださいね。









5月定例会

2023年05月21日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 15:54 Comments( 0 ) 定例会
5月20日は、那覇市の「クニンダテラス」にて5月の定例会が開催されました。

参加されたメンバーは7名、お仕事の都合で欠席されていた桂さんが久々に元気な顔を見せてくださいました。

今回のテーマは、今年度の活動方針について。
今後は、奇数月を活動の月とし、偶数月は予備月とすること、それぞれ持ち回りで企画を担当し、会場や講師の手配、メンバーへの連絡などはその担当者が行うこと、年会費の制度を撤廃し、その都度参加者で経費を負担することなどが方針として決まりました。

これらにより、外部の方が一度だけの参加をすることも容易になりました。

また、これまでの活動の歩みをまとめた記念誌の見本版の内容を皆で検討しました。


あわせて、金城顧問がご自宅のカエルの置物などを「東村立山と水の生活博物館」へ寄贈されたことに関する新聞の記事も持ち寄られました。
これらのカエルには今月末まで同博物館で開催される「雨ごいガエルと水」企画展で会うことができます。

今回の「クニンダテラス」は宮城さんが手配してくださりほとんどの方が初めての利用でした。聞いてみると、利用料金が安く、清潔で開放感のある部屋でみなさんとても気に入られたようです。




湧き水fun倶楽部結成12周年記念~2年遅れの10周年~

2023年03月19日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 23:51 Comments( 0 ) 活動内容
3月18日は、浦添市のハーモニーセンターにて湧き水fun倶楽部結成12周年の集いが行われました。金城顧問から「10周年の節目にはこれまでの活動をぜひ形として残してほしい」とのお言葉もあり、それなりに準備もしていたつもりでしたが、折しもコロナの感染拡大によって普段の活動もままならない状況となってしまったため、節目の行事がここまで伸び伸びとなってしまったものです。

この日集まったメンバーは7名。数年前に退会された黒岩さんもお元気な姿を見せてくださいました。
記念行事と言っても特段プログラムも用意せず、これまでの活動を振り返っていろいろと思い出話を語り合い、ぐし代表が作成した記念誌の原案を皆で検討するという内容でした。

テーブルには、縁起物である「ぎぼまんじゅう(通称:のまんじゅう)」も用意されました。そして、側には、この「のまんじゅう」をかたどったストラップも。

途中、2018年RBCの「気ままにロハススタイル」や2019年TBS系列放送の「世界ふしぎ発見」に出演したぐし代表の映像や、昨年6月QABの復帰50年特番「命ぬ水~映し出された沖縄の50年~」に出演した金城顧問の映像を鑑賞しました。
(「気ままにロハススタイル」の取材の模様はこちら⇒https://wakimizufun.ti-da.net/d2018-02.html、 「世界ふしぎ発見」のロケの模様はこちら⇒ https://wakimizufun.ti-da.net/d2019-02.html )


金城顧問は、復帰前から水道行政一筋に歩んで来られた方で、沖縄水道界では「生き証人」「黄門様」とも言われた方。貴重な映像と、米軍統治下において、すべてが米軍の都合優先で沖縄県民の人権が軽視されていた時代を身をもって経験された金城顧問の言葉に、皆さん真剣に画面を見つめていました。

また、この日は琉球泡盛「金丸」(10年古酒・伊是名酒造所)のお福分けもありました。


小分け用の瓶に移し換え、ぐし代表手作りのラベルを貼ります。

実はこの泡盛は、私たちが2018年に「金丸ゆかりのカーを訪ねて」という散策会(散策会の様子はこちら⇒ https://wakimizufun.ti-da.net/d2018-12.html )を行ったところ、金丸出生地の伊是名島で泡盛製造業を営んでいる伊是名酒造所さんから金城顧問を介して寄贈されたものです。(金丸とは、1469年に第二尚氏王統の初代国王となった尚円王が、王位に就く前の名前です。)この泡盛も「10周年のときに開封する」という約束をしていたのですが、結局2年遅れとなり、その分古酒としての熟成も進みました。
こうして、2年遅れとなってしまった10年周年の節目を終始和やかな雰囲気のまま終えることができました。

それではここで、簡単に12年の歩みを振り返ります。
2010年、ラジオ沖縄の番組「多良川うちなー湧き水紀行」のパーソナリティを務めたぐし代表とごや副代表に私(渡邉)を加えた3名で、環境、歴史、文化など湧き水に関する情報の収集と発信を目的に発足しました。その後、長年水道行政に携わって来られた金城顧問をはじめとして「水と環境」「地質と生物」「防災」「水質」などそれぞれ講師もこなせるほどの得意分野を持つ方々が活動に参加され、どんどんと活動の幅ががって広がっていきます。


そして、2011年1月には「沖縄の水の文化誌」の著者である長嶺操先生の講演会開催を皮切りに本格的な活動をスタートし、(講演会の様子はこちら⇒ https://wakimizufun.ti-da.net/d2011-01.html )


3月には「浦添の湧き水map」を発刊しました。

翌年3月には改訂版浦添の湧き水map配布を行い、多くの方に来場していただきました。

私たちの活動で忘れられないのは、「湧き水カルタ」の作成でしょう。この「湧き水カルタ」は、「公益信託大成建設自然・歴史環境基金」及び「一般社団法人沖縄しまたて協会平成26年度活動支援事業」の助成金により作成されました。カルタの作成にあたっては、沖縄県内全市町村の自治体や公民館、博物館などを分担して情報収集を行い、各地の湧き水を文化財指定の有無、故事来歴、利用状況、維持管理整備の状況、水量、その他で点数化して皆で議論し、選定の根拠を尋ねられた際の資料として整理しました。そして、全市町村から原則一つのカーをカルタに選定しました。また、五十音の読み句と考えるのも一苦労で、案ができあがった段階で国語の専門家にもチェックしていただくなど「日本語」の部分にも神経を使いました。暑い中、離島へも足を運ぶこともあり、それはそれで大変なこともありましたが、今振り返るととても充実していた時期だと思います。

完成したカルタは、各地の教育委員会や博物館などに寄贈しました。写真は、ラジオ沖縄の森田明社長(当時)への贈呈。

そしてこちらは、多良川の砂川佳一会長(当時)への贈呈。


また、沖縄タイムス紙にも取り上げていただきましたし、名護市の羽地ダム資料館にも掲示していただきました。

そして、湧き水の取材を通じて、野原博豪さんと梨奈さんのご結婚というこれ以上ないおめでたい話もありました。

活動の後半は、琉球大学を中心とした「水の環でつなげる南の島のプロジェクト」(略称:水の環プロジェクト)への参加や、

2017年9月には、ボーダーインク社の編集者・エッセイストであり、新良幸人さんらの歌唱による「満天の星」などの作詞も手がけ、マルチな才能を発揮する新城和博先生の講演会 (講演会の様子はこちら⇒ https://wakimizufun.ti-da.net/d2017-09.html)、

2019年7月には、琉球舞踊や組踊の第一線でご活躍されている宮城茂雄先生の講演会 (講演会の様子はこちら⇒ https://wakimizufun.ti-da.net/d2019-07.html)、

2019年10月には、王府おもろ謡きゅる保存会会長の安仁屋眞昭先生の講演会 (講演会の様子はこちら⇒ https://wakimizufun.ti-da.net/d2019-10.html) 、


そして、2020年11月には、今や沖縄だけの問題ではなくなりつつあるPFASの問題について「PFAS汚染から市民の生命を守る連絡会」共同代表の伊波義安先生との散策会 (散策会の様子はこちら⇒ https://wakimizufun.ti-da.net/d2020-12.html)等々、「湧き水」だけにとどまらず、水全体に関する知識・見聞を高めるための講座も多数開催してきました。

また、2018年12月には、セミプロカメラマンの二ノ宮信夫さんの協力を得て、首里城お水取り行事の完全記録化に全面協力させていただきました。

(辺土大川のお水取り。撮影:二ノ宮信夫さん)


(沢岻樋川のお水取り。撮影:二ノ宮信夫さん)
写真下は、玉城弘さん。この行事は、この方のご尽力抜きでは語れません。奇しくも、首里城焼失前の最後のお水取りとなってしまったことで、とても貴重な記録となりました。

こうして、12年を活動を振り返ると、私たち会員の努力だけでなく、ラジオ沖縄さんや番組スポンサーだった多良川さん、定例会の会場として長い間会議室を提供して下さった沖縄県環境科学センターさんなど、本当に多くの方々に活動を支えていただきました。この活動がなければ知り合うことはなかったであろう方々もたくさんいらっしゃいます。すべての出会いに感謝し、活動に携わっていただいたすべての方々に心より感謝申し上げます。活動はこれから13年目。また新たな歴史が刻まれていくものと思います。






湧き水信仰などに関する情報交換

2023年03月12日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 10:49 Comments( 2 ) その他
3月5日は、ぐし代表と総合地球環境学研究所にお勤めの嶋田奈穂子さんとの情報交換が行われました。

嶋田さんからいただいた研究資料に目を通すと、沖縄島の国頭から糸満まで、20箇所以上の湧き水を回り調査をされた結果が書かれていました。また、ぐし代表の著書や、今や入手困難と言われる長嶺操先生の「沖縄の水の文化誌」をお持ちで、疑問に感じた点などにアンダーラインがたくさん引かれて、それらについて意見交換をする形で話が始まりました。嶋田さんは、東ティモールの水源などの研究をされていて、その中で東ティモールの湧水が儀礼とともに維持されていることが沖縄の湧水が信仰の対象となっているということと歴史的背景に共通するものがあるのではないかということに注目し、研究を進めていくなかで湧き水fun倶楽部のブログにたどり着いたのだそうです。
嶋田さんは元々、国家神道に位置づけられる神社ではなく無名の小さな神社の調査をご専門とされているそうです。それら神社が、人口減少などで維持管理が難しくなり近隣の神社と合祀された場合の跡地がどのようになっているかを考えた場合、沖縄の湧き水が、水が涸れてもなお祈りの場として維持されていることと関連づけて考えると何かヒントが生まれるかも知れません。

沖縄の湧き水には、水があってもなくても今も「聖地」として今も大切にされているケースがたくさんあります。



多くのカーには今も祠が残り、自治会などの地域主体でカー拝みや清掃をしているというお話もよく耳にします。

お話の詳細までここに記すことは難しく、また、嶋田さんの今後の研究に差し支えがあっても困るのであまり詳しくは触れられないのですが、沖縄の湧き水に対する信仰心の厚さ、風習、文化まで幅広い分野にまで話が及び、嶋田さんの研究に少しでもお役に立つ情報交換ができたのであれば幸いです。また、今後も交流を深めることができればと思います。




11月定例会~「琉球王朝と水(育徳泉とお庭をめぐる)」

2022年12月07日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 16:27 Comments( 0 ) 勉強会 定例会
11月19日は、世界遺産で国指定の特別名勝でもある「識名園」にて11月定例会が行われました。ここ識名園は、琉球王家最大の別邸で国王一家の保養や冊封使の接待などに使われていました。


この日は、今年の首里城でも案内をしてくださった郷土史研究家の古塚達朗先生に講師をお願いしました。参加者は9名です。

まずは、道路沿いにある入口へと向います。


ここで、識名園の「園」という字が碑と門で違うことの説明を受けます。これは、一つの行に同じ言葉が出てきたときに同じ字を使わないという書のルールがあり、碑から門までの道が一行とみなされるためにこのようになっているとのことです。

ここは、「ヤージョウ」とも呼ばれる正門で、国王一家や冊封使の出入りに使われていたそうです。現在では、国賓級の来客があったときに開けられ、秋篠宮様やゴルバチョフ元ロシア大統領が訪問されたときにも開けられたとのこと。また、近隣の真地小学校の十三祝いの際にも特別に開けられるのだそうです。

まるで森の中に迷い込んだような景色です。この道が直線でないのは、まっすぐにしか進めないヤナムン(妖怪)マジムン(悪霊)から守るためであり、広く見せるための工夫でもあるそうです。また、道の両側には水が浸透しやすい工夫がなされていることの説明がありました。


ここは、池の水源にもなっている「育徳泉」です。あいかた積みで曲線が美しい姿を見せてくれます。

ここには天然記念物である「シマチスジノリ」(淡水に生息する藻類で、血管(血筋)に似た形であることからそう呼ばれているとのこと。)が生息していることで知られています。実はこのシマチスジノリが昭和50年代の渇水時に絶滅したのではないかと囁かれたそうです。しかしその後、シマチスジノリが復活していることが判明したのですが、その理由は不明なのだそうです。どうやら、シマチスジノリには自らの生育環境が厳しくなると胞子のままでいることがあるようで、環境が改善されたために復活したのではないかとのお話がありました。このシマチスジノリは浅草海苔に近い味で大変おいしいらしいとのことです。

ここからは「御殿(うどぅん)」の見学です。

この一番の上の棒が曲がっているのは、完璧なものを造ると災いが起きるという考えからあえて歪んだものが使われているとのこと。日光東照宮も8本の柱のうち1本が逆柱になっていることと理由は同じなのだそうです。

この窓枠は、当時の国王・王妃などの平均身長に合わせて造られているのだとか。私(渡邉)の身長(165cm)の目線ではこんな感じですが、

当時の平均身長といわれる150cm前後での目線だとこんな感じになります。なるほど、素敵な風景です。


御殿から橋を渡って御殿方向を眺めます。石橋や右側に六角堂を望む美しい景色です。


「勧耕台」から、沖縄本島南部を望みます。

御殿の裏側に戻ってきました。識名園の修復にも携わってこられた古塚先生は、この塀の高さに疑問を呈されました。それは、自分の目線と相手の目線が合わないということが重要であるので、当時の平均身長である150cm程度の目線を隠すために、もっと高くする必要があったのではないか、ということです。


またこちらの石積みも、古くから残る左側と復元された右側では石積みの形が異なってしまい違和感があることをとても残念がっていらっしゃいました。

こうして約2時間にわたる勉強会は終了となるのですが、その前に一つ、この「識名園」という字はシルクロードの絵画などで知られる平山郁夫さんの書であり、それにまつわるエピソードなども披露されました。

最後に、参加者全員で記念撮影を行いました。

外には有名な猫の姿もありました。
識名園は、森のような風景から突然視界が開けて池が現れ、また山の中のような風景になる目の錯覚を利用していて、緻密に計算された手の混んだものであると感じました。古塚先生の言葉にもありましたが、建築や動植物、地質、更には琉球の歴史まで幅広い知識があれば、庭園の散策はもっと楽しめるようになると思います。また、これは余談ですが、私(渡邉)の知人でトンボ博士でもあるYさんに聞いたところ、識名園でしか見かけない生物がいるとのこと。それだけ、生き物たちにとってもすばらしい環境が残っているのだと言えると思います。

最後に、今回も講師を引き受けてくださった古塚達朗先生に心より御礼申し上げます。先生は、寒い時期の識名園で夜話会を開催したいとのお考えがあるとのことで、こちらの実現もぜひ楽しみにしたいと思います。併せて、諸般の事情により更新が遅くなったことをお詫びします。
(縦に撮影した写真が縦に取り込めなくなってしまいました。どなたか対処方法をご存じの方はお知らせください。)










9月定例会

2022年09月17日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 22:28 Comments( 0 ) 定例会
9月17日は、浦添市立中央公民館で9月の定例会が開催されました。
コロナの影響もあり、定例会は今年4月の垣花樋川でのお茶会以来5月ぶりとなってしまいました。

この日の参加者は6名。ひさびさの再会でもあり、まずは近況報告から。コロナにより日頃の活動に影響を受けたもののいろいろと工夫しながら活動を続けている方、コロナに感染してしまったものの体調にはなんら変化がなかった方、新たに習い事を始めた方等、プライベートや仕事で若干変化のあった方もいっらっしゃいましたが、皆さん特にお変わりなくお過ごしのようでした。

定例会の後半では、来年3月までの活動についての話し合いを行いました。

湧き水fun倶楽部は結成12年目を迎えますが、コロナの影響により10周年を総括することができずにいました。最近はコロナの感染状況も落ち着きつつあることから、今後は奇数月に定例会等を開催し、3月に12周年の総括行事を行うこととしました。また、総括行事を執り行うにあたっての役割分担を決め、それぞれで準備を行うこととしました。それに併せて予算の使い道も決まりました。いずれも、大まかな決定ではありますが、少し形が見えてきたことで、少しずつ前に進めそうです。

いずれにしても、コロナの感染状況はまだまだ油断はできないことから、今後も注意深く感染状況を見守り、無事に3月を迎えることができように祈るばかりです。





4月定例会~垣花樋川でのお茶会

2022年04月19日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 21:22 Comments( 0 ) 定例会
4月16日は、4月の定例会が行われました。この日は、垣花樋川での野点で、お茶の先生でもある上原さんがお茶を点ててくださいました。


10時半ころに集合し、早速準備を始めます。




お茶道具の準備をしている間に、イキガンガー(男の川)からお水を汲みます。いつもながらの豊富な水量で、水を入れるのも大変そうです。

ちなみにこちらはイナグンガー(女の川)。

この日はお天気にも恵まれ、イナグンガーの前からは遠くにコマカ島や久高島が望める雄大な景色が広がります。



お茶の心得のあるぐし代表もお手伝いしながら、お茶会が進んでいきます。

出来上がったお茶に、垣花樋川のお水を少し加えると、味がまろやかになったそうです。


お昼時間も近づき、お茶会もお開きとなりました。


その後、近くの奥武島で天ぷらの昼食会を経て観音堂に行ってみました。やたらと人懐っこい猫がド真ん中に守り神のごとく鎮座していました。
まもなく梅雨を迎える沖縄ですが、その前にこんなにもいい天気の下で、流れ落ちる水の音を聞きながらのお茶会に皆さんとても満足されたようです。また、お茶会ができる平和にも感謝する声が聞かれました。







3月定例会~「グスクとカー(首里城編)」

2022年03月28日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 14:27 Comments( 1 ) 勉強会 定例会
3月19日は、3月定例会が行われました。今回は「浦添市市民の学び応援講座」の第5回目として、また、講座「グスクとカー」の第4回目として、首里城での散策・勉強会です。講師にお招きしたのは、那覇市歴史博物館館長や那覇市中央公民館館長を歴任され、現在は郷土史研究家としてご活躍の古塚達朗先生です。先生は、数年前のNHK「ブラタモリ」那覇編で案内人を務められたことでも知られています。

前日と打って変わっていいお天気に恵まれました。午前10時前に守礼門前に集合し、早速スタートです。

【守礼門】

こちらでは、「門とは言っても扉がなく、平和の象徴であること、中国の飾り門の風習を取り入れつつ、日本の建築様式を採用していること、現在の「琉染」の付近に中山門があり、そこと守礼門を結ぶ綾門大道(「あいじょううふみち」又は「あやじょううふみち」)と呼ばれる大きな道があったこと、屋根部分に桃の模様があるが、桃には強い魔力があるとされ、ヤナムン、マジムンを追い払うという意味があること」などのお話がありました。

【園比屋武御嶽石門】(そのひゃんうたき)

こちらでは、「守礼門付近から見る大きさと正面から見る大きさが違って見えるが、これは、床部分の中央がやや盛り上がっていることや、床や壁自体が斜めになっていることなどから目の錯覚でそう見え、上から見ると台形のような形であること、門の上の部分はアーチのようでアーチではないこと、竹富島の西塘という石工が設計を担当し、その功績から彼は郷土の偉人として八重山を統治し、御嶽に祀られていること、修復には困難を極めたが、この技術がイースター島のモアイ像にも活かされていること」などの話がありました。

【歓會門】

歓會門では、「アーチの部分がギリギリの計算で組み合わされており、一つでも石が抜ければ倒壊すること、日本初の石造りアーチ橋である長崎の眼鏡橋よりも古く、これを16世紀にやっていることはすごいことであること、石の大きさが横に長く奥行きが短いのは琉球で編み出され発達していたスタイルであり、これらは後にフールにも活用されたこと」などのお話がありました。ここで、参加者から「この石はどこから運んできたのか」という質問がありました。先生からは「よくぞ聞いてくれた。大阪城などは日本全国から石を集めていて、それぞれの石にはマークがありそれを見るとどこの藩から運ばれてきたかわかる。首里城では、琉球石灰岩の山を平らにするために切ったものを積み上げただけで、よそから運んできたものではない。それは中城でも座喜味でも今帰仁でも同じ」とのお話があり、とてもすばらしいことだと参加者の皆さんは感じたようです。
 また、歓會門をくぐって瑞泉門の近くでは「歓會門はアーチ状であるが、瑞泉門はアーチ状でなく、どちらの門にも獅子が鎮座していて、瑞泉門が第一尚氏時代のもの、歓會門が第二尚氏時代に増築されたものであること、城壁には狭間がなく攻撃の際は不利だったため、薩摩が攻めてきたときにはすぐに落城してしまったこと、ペリーが来た際には城壁をよじ登ることを想定し、指がかからないように漆喰を塗ったことが最大の防御であったこと、しかし、歓會門の上部には弓や槍などの武器が保管されていたこと」などのお話がありました。

【龍樋】


龍樋では、「本来の名称は「瑞泉」であるが、龍の口から水が出ていることから「龍樋」と呼ばれていること、龍頭は尚真王の時代の三司官である沢岻親方(たくしうぇーかた)が1522年に中国から持ち帰った実物であること、戦争で鼻の一部が欠けたが修復されたこと、この水は国王のためのものであるが、中国皇帝と同じ扱いを受ける冊封使にも振舞われ、冊封使が滞在している天使館まで毎日運ばれたこと、水質を調査した結果この水は本物の湧水であること」などのお話がありました。また、「この周辺の地層がものすごくタチの悪い不透水層であり、これがこのすぐ下にある「第32軍司令部壕」の保存・公開には大きな難問となっていること、これら地層の問題は現代科学をもってしてもいかんともしがたいこと」などのお話もありました。参加者からは「壕を造る際に地質を調べなかったのか」という質問が出されました。先生からは「それは、長く持つ必要がなかったため」とのお話がありました。

また、「首里赤田集落は赤土で、米作りのための代搔きをすると龍樋の水が赤く濁ったために米作りが禁止され、その代わりに泡盛造りをさせられるようになった」との言い伝えもあるそうです。

 漏刻門を抜けると広々とした景色が広がり、ここで首里城からの水の旅のお話がありました。

【下之御庭】(しちゃぬうなー)
廣福門をくぐり抜け、下之御庭に着きました。ここで、首里城の見取り図を元に解説をしていただきました。

「この正殿の中では、2階部分が一番重要な場所であったこと、それはそこが祈りの場であり、琉球屈指の聖地であったこと、首里城には全部で33匹の龍がいるが、1匹だけ対ではなく正面を向いており、これは国王の象徴であったと考えられること」などのお話がありました。「火の神」(ひぬかん)を今のコンピュータのサーバーに例えたお話はとても面白いものでした。

【遺構】
いよいよ、有料区域に入り、遺構へと到着しました。


遺構については、「これこそが世界遺産であること、ユネスコへの世界遺産登録に際してその真実性を証明するために遺構の周辺に正殿を復元したこと」などのお話がありました。

【井戸状貯水遺構~寝廟殿~東のアザナ】


「井戸状貯水遺構は、井戸ではなく、天水を溜める施設であったこと」「白銀門の奥には寝廟殿があり、ここはすなわち国王の亡骸を安置する場所であり、門が開いていることは縁起の悪いことであったこと」とのお話がありました。
また東のアザナでは「この90cmの道幅が昔の道の基本であり、あぜ道などもこの幅であること、その倍の180cmの道幅は割と広い道であり、首里金城町の石畳は360cmであること」とのお話がありました。
この日は見晴らしが良かったため、弁ヶ岳や久高島だけでなく、慶良間や島尻一帯、北には読谷残波岬や恩納方面まで望むことができました。弁ヶ岳から湧き出た水は首里城の南北を囲むように流れ出し、後に那覇市大道付近で合流して安里川、久茂地川へと注ぎ、ここは風水上とても縁起のいい場所であるということを実感することができました。

城外へ戻る途中、お風呂を見つけました。皆さんからは「露天風呂として営業すればいいのに」との声が聞かれましたが、足下がごつごつした石なので、健康風呂以上のとてもつらい入浴になりそうです。

【銭蔵】

「ここは、貴重な貿易品であった泡盛の保管倉庫であったこと、伊達政宗公の江戸屋敷跡から壺屋の酒器が見つかっており、これらは琉球から将軍に献上されたものが渡ったものであると考えられること」などのお話がありました。

【寒水川樋川】


「寒水川樋川(スンガーヒージャー)は、「冷たい水が湧き出る井戸」という意味で、同じ名前の樋川が首里寒川町や首里赤田町にもあり固有名詞ではないこと、この水は家来達が使う水であるが、防火用水としての役割もあったこと」などのお話がありました。
ゆるゆると流れ出る水の中にカニがいて、それを見つけた小さな女の子が大はしゃぎしていました。

【国王のサービス施設】

「「龍樋」や「寒水川樋川」から流れ出た水は暗渠を通り、ここから流れ出ていて、首里城にやってきた人はここで汗を拭きのどを潤すことができたこと、今日は水が出ていないが、大雨の後などは流れ出ていることがあること」などのお話がありました。(ちなみに、首里城公園で販売されている「首里城」という冊子の中にある久慶門の写真ではここから水が流れ出ていることが確認できます。)
先生はこれを「国王のサービス施設」と呼んでいて、参加者からは「来城者は水を我慢しなければならないのかと思った」と、粋な計らいに感心している様子でした。

参加者からは、「小さいころ、学校の行き帰りに龍樋の水を飲んでいた」と思い出を語る声や、「次回は先生に識名園の案内をお願いしたい」など早くも次回の開催を望む声も聞かれました。また、樋川だけでなく、貯水遺構、泡盛と、水にまつわるお話をしていただき、わかりやすく楽しいお話に皆さんとても引き込まれたようです。いろいろと理解した上で見る首里城がこんなにも楽しく奥の深いものであることを痛感し、まさに「ブラタモリ特別編」のような充実した時間でした。

ちなみに、私達湧き水fun倶楽部は、2019年の12月にも今帰仁のバスツアーで先生とご一緒させていただいたことがあります。

このときは、湧き水やそれらにまつわる歴史だけでなく、ブラタモリ撮影時の裏話などを披露してくださいました。

そしてこちらが、そのブラタモリ放送時の映像。先生のお話によれば、このころよりも20kgほどスリムになられたそうです。そのせいか、だいぶお若くなられた印象を受けます。(写真は、放送時のテレビ画面から)
今回、私たちのためにお時間を割いて下さった古塚先生に心より感謝申し上げます。

【ここまでのグスクとカーの開催内容】
これまで、グスクとカーをめぐる勉強会は4回開催しました。記念すべき第一回目は、2017年4月。後に座喜味グスク、中城グスクへと居を移す護佐丸公が居城した山田グスクとそのすぐ近くにあるメーガーをめぐりました。講師は恩納村教育委員会の崎原さん。


第二回目は2019年4月。第六代国王尚泰久やその娘である百度踏揚の御墓、近隣に点在するカーをめぐりました。講師は「アマミキヨ浪漫の会」ガイドの嶺井さん。


第三回目は2021年4月。座喜味グスクと城主専用だったと言われるウェーガーを訪ねました。



そして第四回目は2021年12月。第三回目の続編として、座喜味グスク周辺の集落の人々の生活に迫りました。


第三回目と四回目は、琉球大学風樹館の学芸員で座喜味生まれの座喜味育ちである島袋さん。
それぞれの勉強会についてはブログの記事がありますので、興味のある方はそちらをご覧ください。
今回、こうしてとうとう本丸である首里城にたどり着き、感慨深いものがあります。今後も新たな発見をめざして勉強会を続けて行きたいと思います。


















2月定例会~Zoom講座

2022年02月19日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 23:26 Comments( 0 ) 勉強会 定例会
2月19日は、浦添市立中央公民館において、2月定例会として第3回目のZoom講座が行われ、計7名の参加がありました。

この講座は、「浦添市市民の学び応援講座」とのして開催でもあります。

今回も、講師を務めてくださるのはSym Net Work代表の宮里弥杉さん。
miyazatosan
ぐし代表のあいさつから講座が始まります。



今回は、第3回目のZoom講座とあって、各自のネット環境から実際にZoomを使って会議に参加することが目標となり、3名の会員が実際に各自の自宅や職場から講座に参加しました。ネット環境や操作に不安のある会員は会場になる公民館でZoomの動作確認などを行い、全員が30分以内にZoomを使って講座に参加することができました。
講師の宮里さんからは、私たちの次年度の活動に必要な技術について講座をしてもらい、実際にZoomを使ったオンライン講座を実施。
デジタルアーカイブの視点から写真・資料を後世に残す手段を学びました。貴重な古い資料など原本に直接触れることは、破損・汚損のリスクが伴いますが、デジタルで残しておけばそうしたリスクを減らすことができるのです。

まずは、保存形式の種類とそれぞれの長所・短所について、「JPEG」は画像がきれいで容量も少なく済ませることができ、家庭で使う分にはよいが、圧縮等を行うと元に戻せないこと、「PNG」は圧縮しても画像が劣化しないが、色の再現に難点があること、などを学びます。また、写真を右クリックしてプロパティを表示すると、カメラの技術的なことや位置情報などが残るので、それらを残したくない場合は削除すべきことや、個人の許諾が必要となるケースがあるため知らない人が映り込んでいる場合は注意が必要であること、データを保存する場合は、湿気の多い沖縄ではDVDよりも外付けハードディスクが適していることなどの留意点の説明がありました。

宮里先生の講座が終了したあとは、前回の宮城さんに続き、なみまるさんがZoomの画面共有をつかっての講師体験。
「安波茶樋川ってどんなとこ?」と題するミニZoom講座を実践してもらいました。

安波茶樋川は、浦添市の文化財に指定されている湧き水で、生き物が豊富なところです。樋川周辺では、アメンボやオタマジャクシ、トンボなどのほか、テナガエビなども見られ、その中にはきれいな水でしか生きられない生物もいるので、その水質の良さが生き物からもわかるそうです。植物に目をやると、繁殖力の強い外来種のヤナギバルイラソウやアメリカハマグルマなどが見られるそうです。

カマキリがとんぼを捕食している写真なども紹介されました。
発表を終えたなみまるさんは、「うまくできて嬉しい。また依頼があってもできるような気がする」と感想を述べられました。
今後、他の会員の皆さんも交代でこのような体験ができると、Zoomを使っての情報提供などがお互いにできていいね!という話になりました。
残り時間を利用して参加された方々から近況等報告を受けて今回の定例会を終了しました。
Zoom講座はこれでひとまず終了です。これまで計3回の講座を快く引き受けて下さった宮里先生に心から感謝いたします。


帰り道、安波茶樋川に寄ってみました。このところの雨のせいか、水量が豊富です。直近の雨量に水量が左右されるようで、保水力ということではそれほど高くはないようです。

ちなみに、下の2枚は2006年3月の安波茶樋川の様子。


周囲はちょっとした森になっていて、とてもいい感じでした。

その後、周囲が崩れる等危険な状態となったようで、長いこと立ち入りが禁止されていました。(写真は、2014年7月になみまるさんが講師を務めての散策会)
そして、発掘調査と復元工事が完了した2017年4月に落成式が行われました。



発掘した結果、樋は思ったよりも長かったのだそうです。樋川の周囲は工事完了から5年ほどを経ても2006年当時の様子までは戻っていませんが、落成当時よりは木々も生え少しづつ昔の様子に戻りつつあるようで、長い目で見守ることが必要なようです。





沢岻樋川のお水取りと首里城への奉納

2021年12月26日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 21:23 Comments( 0 ) 湧き水に関する行事
12月26日は、沢岻樋川でお水取りが行われました。

この日は曇り空で風が強く、高台にある沢岻樋川は特に寒く感じます。



お水取りは午後2時から。すでに準備は整っているようです。沢岻樋川のお水は今も水量が豊富でとても澄んでいます。



沢岻樋川の管理者である玉城さんが、お祈りを捧げ、柄杓で7回水を汲み、壺へ注ぎます。最後にまたお祈りを捧げてお水取りは終了しました。
沢岻樋川でのお水取りの様子はこちら。
↓   ↓
https://www.youtube.com/watch?v=H2osk2-B2gk

その後は円覚寺へ移動します。付近にはのぼり旗も立てられています。



ほどなくして、ノロ(祝女。女性祭司。)が辺戸からのお水とともに到着し、いよいよ奉納の儀式が始まります。

ノロのお祈りが始まると、付近は静まり返り厳粛な雰囲気が漂います。
円覚寺への奉納の様子はこちら。
↓  ↓
https://www.youtube.com/watch?v=aKC1byzazng


首里城の管理者の方へお水を手渡し、これで儀式は終了しました。



この3枚の写真は、2015年当時のお水取りと奉納の様子です。このおおがかりな再現行事は20回を節目として終了し、現在はこのような行列はなく簡素化されてしまったことは寂しい気持ちもありますが、どんな形であってもこのお水取り行事が続いてくれることを心から祈ります。









12月定例会~「シマとカー~読谷村座喜味編」

2021年12月18日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 23:30 Comments( 0 ) 勉強会 定例会 湧き水散歩
12月18日は12月の定例会が行われました。
この日は、今年3月に実施した「グスクとカー~座喜味編」の続編として座喜味集落の散策を行います。また同時に、「浦添市民の学び応援講座」の第3回目でもあります。
前回は、座喜味グスクと、城主専用だったと言われる「ウェーガー」を訪れましたが、今回は城下町のカーを巡ります。


今回も講師をお願いするのは琉球大学風樹館学芸員で座喜味生まれ座喜味育ちの島袋さん。


今回も立派な手作りの地図をご用意いただきました。


まず最初に訪れたのは、「モーガー」です。正月の若水を汲んだり、ムラの行事に使う器を洗ったりしたそうで、藻が多いことからモーガーと呼ばれるようになったのだとか。ここは、私(渡邉)が2013年9月に訪れたことがあるのでそのときの写真を見てみました。(ちなみに、このときの記事が2013年9月に掲載してありますので、ご興味のある方はどうぞ。)


今にも屋根が落ちそうなくらいになっていました。その後、修復されたようです。



次に訪れたのは、「ミーガー」。明治37年に近所に住む方が見つけ、のちにムラガーとなったそうで、座喜味では新しいカーなのでこの名前が付いたのだそうです。モーガーの水は澱んで見えましたが、こちらの水は澄んで見えました。

次は「ティランカー」。ちょっとこんもりした林の中に入って行きます。


カーの柱部分には「1963年竣工」の文字が見えます。
ここの近くに「ボージ(坊主)ガー」があることから、寺(ティラ)が近くにあったことも考えられはするものの、はっきりとした名前の由来はわからないのだそうです。


こちらも水はとてもきれいに見えました。すぐそばには小川が流れており、カーの水よりも川の水の方が冷たく感じされました。

このティランカーの奥にもうひとつカーがあるようです。

行ってみると「タメトモガー」でした。残念ながらほぼ涸れてしまっているようです。
ここの名前の由来についてぐし代表が以前聞いたところでは、源為朝とは無関係で、昔の武士のような風貌の方が所有者だったことからそう呼ばれたのだそうです。





「ウェンダカリガー」は、近所の人たちが主に使うカーで、若水汲みにも利用されたそうです。

少し雨がポツポツと降ってきたため、休憩も兼ねて目の前の「水円」さんに入ります。



ここで、座喜味に伝わる民話を島袋さんが紹介して下さいました。「カサンジャーガマの米戦法」というお話で、戦争のあった頃(先の大戦ではなく、もっと昔の話)、カサンジャーガマという洞窟に隠れていた住民が、敵が近づいて来たからと米を流したら、敵は米を水と勘違いして「こんなにも大量の水が流れているのだからこの先に人は住んでいない」と引き上げて行ったという内容です。これは、間抜けな話と言えばそれまでですが、その当時はそれほどたくさんの米があったのか、川の上流や周辺に集落は形成されていなかったのか、などという考察も踏まえて捉えればまた面白いかも知れません。
実際に収録されている音声はこちらで聴くことができますので、興味のある方はどうぞ。
https://yomitan-sonsi.jp/story/192/



この日最後に訪れたのは、「ジョーガー」「ミージョーガー」です。



左が「ミージョーガー」で、右が「ジョーガー」です。昭和初期の旱魃により新しく「ミージョーガー」が作られたそうですが、水の味が違うため、美味しい水の「ジョーガー」はお茶に、味の劣る「ミージョーガー」は炊事洗濯に使われたそうです。姑から水汲みを頼まれたお嫁さんが面倒だからと違うところで水を汲んで行ったところ、味が違うのでバレてしまった、という逸話が残っているそうです。隣り合っていても味が違うのあれば、別々の水脈なのかも知れません。


こうして約2時間に及んだ座喜味まーいは幕を閉じました。
グスクと集落との関わりを示す資料に乏しいため当時の人々の生活がどのようなものであったか不明な点が多いという座喜味で、庶民の暮らしぶりを少しでも垣間見ることができたことは大変興味深いことでした。こうした小さな観察を積み重ねていけば何か新しい発見があるかも知れません。

年末が近づき何かと忙しいこの時期に、3月に続いて今回も講師を務めていただいた島袋さんには心より感謝いたします。

この日の活動をもって、今年の活動は終了となりました。皆さま、よいお年をお迎えください。














11月定例会~Zoom講座

2021年11月21日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 08:31 Comments( 2 ) 勉強会 定例会
11月20日は、浦添市公民館において定例会が開催されました。
この日のテーマは前回同様「浦添市市民の学び応援講座」としてZoomの講習会を行いました。参加者はZoomでの参加も含めて8名でした。

今回も講師を務めて下さるのは、Sym Net Work代表の宮里弥杉さん。


この日は、皆さんがZoomに接続したことを確認したのち、みんなの意見を聞く(共有)という活用方法を学びました。

まず、田芋に関するクイズを3問ほど出していただき、それに回答する、ということをやってみました。
その後、沖縄県公文書館のHPに掲載されている湧き水の古い写真に撮影地が記載されていないものを提示していただいたので、「ここは●●ではないか」といろいろと推測をしました。
このように、画面の共有を行えばいろいろなことができることを学びました。



宮里先生からの講座を終えたあとは、ホストを宮城さんに交代し、温泉に関する講座を行いました。宮城さんは温泉ソムリエとして、多方面で講師として活躍されている方です。この講座ではパワーポイントを画面共有し、沖縄本島や離島にも温泉が存在すること、沖縄で一番古い温泉は恩納村の山田温泉であること、琉球王朝時代にも現在の那覇市西町付近に銭湯があったらしいこと、などを学びました。

その後は、参加されている皆さんの近況報告や、ぐし代表から来月以降の計画についてお知らせをして、今回の講座を終了しました。

帰宅後は、私(渡邉)が所有している写真と沖縄県公文書館HPの写真を見比べて検証しました。

沖縄県公文書館HPに掲載されている写真がこちら。解説に「屋良朝苗行政主席視察 PCP被害 豊見城〜東風平 湧き水で洗濯する住民」、撮影日1971年6月とありますが、撮影地の記載がありません。

これは、3段になっている石積みや足場の形などから八重瀬町にある「屋冨祖井(ヤフガー)」で間違いなさそうです。ちなみにここは、旧具志頭村です。(撮影日2018年6月)


次の写真がこちら。解説には「国頭 奥間 湧き水」撮影日1957年と記載されています。


写真を見た瞬間、すぐこちらではないかと思い、宮里先生に場所の説明をしました。しかし、これはアーチ状の形は似ているものの、カーの背面は山であり、所在地は奥間ではなく比地なのです。
そこで、奥間小学校近くの「がじゅまる公園」横で見かけたカーの写真を探してみました。すると。

(Google ストリートビュー画面より)


こちらは、前面の形状こそ異なりますが、カーの背面が高くなっていて家があることや、カーの上部に長方形の石が載せてあることなどが酷似しています。形状が異なってはいますが、左下に補修したような形跡もありますし、全体の素材はコンクリートのようで比較的新しいものにも見えますので近年に大改修されたことも考えられます。(撮影日2006年6月)この写真が一致しているという前提で考えるならば、古い写真は道路が舗装されておらず、水面が道路よりも低いので、道路の舗装に合わせて水面を上げる必要があったたため改修を行ったのかも知れません。

もうひとつがこちら。解説には「東村 湧水と子ども」、撮影年は1968年で撮影地に記載がありません。
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私達が推測したのは、本部町伊野波の「大湧(うふわく)」(撮影年2006年11月)。長方形の形や、下から湧き上がっているような様子、足下を濡らすほどの豊富な水量など似てはいますが、背景などの手掛かりとなるようなものが少なく、東村と本部町ということで地域も相当離れているので、確かなことは言えないようです。

今回は講座にお時間を頂戴したのみならず、このような興味深い写真についても紹介していただき、宮里先生に心より感謝申し上げます。こうした活用方法を体験できたことで、私達の活動方法も広がりそうです。







10月定例会~Zoom講座

2021年10月18日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 21:29 Comments( 0 ) 勉強会 定例会
10月16日は、3月以来久々の定例会が開催されました。
この日は、浦添市公民館において、「浦添市市民の学び応援講座」としてZoomの講習会を行いました。
Zoomが使えるようになれば、コロナの感染拡大などによって集まることが困難な状況になっても意見交換をすることができ、今後の会の活動にも役立つことが考えられます。

まずは、ぐし代表から講師のご紹介を兼ねた開会のごあいさつ。

この日、講師を務めて下さるのは、Sym Net Work代表の宮里弥杉さん。
まずは、Zoomでの会議の進め方や、Zoomからお金を請求されることはないこと、などを学びます。

Zoomについてひととおり説明を受けたあとは、皆さんが持ち寄ったパソコンやスマートフォンをWi-Fiに接続し、利用できるように設定を始めます。


すべての方々の接続が終わり、映像がつながると、この日は自宅から参加の野原さんご夫妻に代わる代わる呼びかけ、お昼寝から目覚めてご機嫌な様子の息子さんの姿が映し出されると皆さん大喜びでした。

後半は、皆さんそれぞれ近況報告を行いました。

最後に、金城オブザーバーから「湧き水fun倶楽部10周年をぜひ記録として残してほしい」との要望や、沖縄の本土復帰50周年を迎えるにあたって金城さんがインタビューされた記事が新聞に掲載されたことなどの報告がありました。
コロナの感染拡大により長いこと定例会の開催ができない状況が続いていましたので、久々の再会は皆さんとても嬉しかった様子でした。また、「ガラケーからスマホに替えてみようかな」との声も聞かれるほど、非常に有意義な講座となり、講師を務めてくださった宮里さんに深く感謝いたします。








3月定例会(グスクとカー:読谷村座喜味編)

2021年03月14日

Posted by 湧き水fun倶楽部 at 20:08 Comments( 1 ) 勉強会 定例会
3月13日は、久々の定例会が行われました。この日のテーマは、3回目の企画となる「グスクとカー」として、座喜味グスク周辺の散策・勉強会です。(第1回目は、恩納村山田グスク:2017年4月開催。第2回目は、南城市富里:2019年4月開催。)また、「浦添市市民の学び応援講座」の今年度第3回目でもあります。そしてこの日は、先週7日の「ウチナー紀聞」をきっかけにご連絡をいただいた棚原さんにもご参加いただきました。
座喜味グスクは、かの護佐丸公が1420年頃から1440年頃まで居城したグスクとして知られていますが、グスクの内部にカーの痕跡がないことでも知られ、いざ有事となった際の水の確保はどうしていたのだろうか、という謎が解明されていません。今回の勉強会で何かヒントが見つかるのでしょうか。


この日の講師は、琉球大学風樹館学芸員であり、琉球大学を中心とした「水の環プロジェクト」で以前から湧き水fun倶楽部とお付き合いのある島袋さんにお願いしました。島袋さんは、座喜味生まれの座喜味育ちなのだそうです。

事前に立派な資料3点セットをご用意いただき、


島袋さんが製作された地図などを元に、グスクと集落の人々との関わりはあまりなかったこと、昔話や伝説にグスクに関するものがないこと、グスクの築城にあたっては与論から人々が連れてこられたこと、グスクの周辺を川に囲まれており水に恵まれていたことから農業が盛んで、小さな集落の割には豊かであったこと、などを学びます。
2つ用意されたコースの中から、グスクのほぼ東に位置するウェーガーを訪れるコースに決定し、早速出発します。

ユンタンザミュージアムのわき道から森の中へ入っていきます。読谷村は様々な土壌が混じっており、沖縄本島北部と同じような植生も見られるのだそうです。また、祭祀場のことを北部では「神アサギ、神アシャギ」、中南部では「殿(とぅん)」と呼び方が異なるものの読谷ではどちらも使うことがあるそうで、そうしたことが「読谷は北部か、中南部か」という議論の要因にもなっているそうです。


確かに、やんばるの森のようでもありますが、少し異なるような気もします。


山道を歩くこと数百メートル、グスクの城主専用であったと言われる「ウェーガー」に着きました。ここは神聖なカーで、はしかにかかったときにここの水で水撫でをすると早く治ると言われていたそうです。このカーは、案内板やガイドマップにも場所に関する詳しい記載がなく、足元も悪いことが多いため、たどり着くのが難しいこともあるそうです。また、この名前の由来は、護佐丸公が今帰仁村に由縁があることから、今帰仁のウェーガー(親川)にちなんで名づけられた可能性もあるとのこと。「言われてみれば、今帰仁のカーに似ているかも知れない」との声もありました。

今もわずかですが、清らかな水が湧き出ています。護佐丸公自らが水を汲みに来ることはなかったのでしょうが、その当時からこのカーが存在していたことを思うと感慨深いものがあります。



森を抜けると、休憩所がありそこで一休みです。

ここで島袋さんから、「豆と藁と炭」という座喜味の民話の紹介がありました。これは、「そら豆の口がなぜ黒いのか」という座喜味に伝わる民話で、島袋さんの曾祖父である島袋亀次郎さんから聞き取ったものだそうです。そして、読谷村史編集室のHPでは亀次郎さんの肉声も聴けるというお話をお聞きしました。島袋さんの軽妙な語り口についつい引き込まれ、私達の話はムーチー作りにも発展しました。親から子へ、姑から嫁へ、と受け継がれてきたはずの各家庭の味・伝統の味が、買ってきて済まされている現状にまで話が及び、語り継いでいくこと、受け継いでいくことの大切さを痛感させられました。
亀次郎さんの肉声はこちら。
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https://yomitan-sonsi.jp/story/aza_m/zakimi/


森から戻ったあとは、グスク内部の見学です。

このグスクの特徴として、国頭マージという地盤の弱いところに建てられているため、城壁がかなり厚みがあることが説明されました。また、門の天井にクサビ石が打ち込まれており、これは他のグスクでは見られないことなのだそうです。

座喜味グスクは、外見の美しさとは裏腹に、軍事要塞としての機能にも優れていたようで、そうしたことが、このグスクの魅力を引き立てているように思います。また、様々な資料にも乏しく、グスクのみならず、護佐丸公が中城グスクに居を移した後、この集落ではどんな人々がどんなことをしていたのかということも記録がないとのこと。結局この日の勉強会では「水の確保」の謎は解けませんでした。永遠の歴史ロマンとして語り継がれていくのでしょうか。

予定時刻の12時ころ、グスク城壁からの雄大な風景を眺め、この日の散策・勉強会の日程はすべて終了です。この日、講師を勤めてくださった島袋さん、本当にありがとうございます。心よりの感謝を申し上げます。